長編小説では『BRAIN VALLEY』の次になるとはいえ。長さで云えば中編になる『虹の天象儀』、
そこではハードSFを否定していましたから。また人間の脳の問題をハードSFとして全面的に取り込んだ、
前作にしても最後の最後にファンタジーに落としていたし。私としては、それも良い結末と思った記憶。

 だからSF性は「どこでもドア」と人工現実の説明のとどめ、あとは登場人物を活躍させるだけ。そんな、
著者の小説に対する姿勢に異論あるはずも。実際の物語が確かにワクワクするものであれば、なおさらに。
 それでいて決して遠い出来事のファンタジーでないことも、また確か。『機動警察パトレイバー』に見た、
舞台の地続き感が明確に認識できたので。

 もちろん亨くんばかりでなく、探検家のマリエット、そして語り手である「私」、2人の物語にも、
同様のスリリングさ。それは確かにそこに居るという実在感。つまり彼らの喜怒哀楽が私にも、
<同調>出来たからであり。

 しかし一方で提示された謎の全て、明確には明示されなかったこともまた事実。映像では良くやる手法を、
小説に適用したことには正直脱帽。つまりこれ以降は、読者一人ひとりが考える「それは、また別の物語だ」。