同じ著者、作画監督の大塚康生氏の『作画汗まみれ』でその一端が記述されていた、
世界に通用するアニメを製作するため、日米合作の『リトル・ニモ』で挑んだ、1プロデューサーの軌跡。
 アニメの有名プロデューサーといえば、今は鈴木敏夫、昔は西崎義展しか思い浮かびませんが。ほかには、
『イノセンス』に少し顔の知れた、石川光久ぐらい。

 前述の著作では記憶に残らなかった「藤岡豊」という名前、「失敗作」と烙印を押された
『リトル・ニモ』とともに、確かに語るに足るだけの人物でありアニメであると、納得。名前だけは、
徳間書店刊の『劇場アニメ70年史』の中の記事として知っていましたが、大々的なキャンペーンも、
ブームになった記憶もなし。55億円もかけたのに。

 そういえば『作画汗まみれ』でも苦闘の様子が書かれていましたが、
話の内容が決まらないまま制作している様子があったので、進行状況が掴めなかったこと、思い出しました。
 つまりスタッフが思いついたアイディアをまず絵にして、あるいは個人が気に入った場面を試作し、
それを米国のプロデューサーが選択するという手法だったと。強引でアメリカ的と非難された西崎氏でも、
オリジナル企画のため話作りから入りましたから。

 そんな一端を知れば、少なくとも迷走は想像つきますよね。そして実制作で資金を費消してしまい、
大作に見合うだけの宣伝が出来ないのであれば。しかしこの壮大な失敗作、宮崎駿、近藤義文、友永和秀、
山本二三といった、アニメに詳しくなろうとすれば必ず突き当たる名前が関わったことを知れば、
無視していい作品とは思えず。

 鎮魂のためにも。本人が書くのがもちろん良く、実際に鈴木敏夫が勧めたものの。失意の中で既に他界。
 そのため、故人に一番近い位置にいた、大塚氏によるものに。『ニモ』に至るまでの、
一匹狼のような仕掛け人のプロデューサー像を活写していればなおさら、少なくともアニメ評論が生業なら、
一読する義務あり。