少なからずの観客が指摘しただろうと思いますが、ソフィーの声が倍賞千恵子では。18では、
やけにとうが立って。90では、不相応なほど若々しく。主人公ゆえの制約だったのでしょう。しかし、
ブランドとしてすでに確立している監督の作品であれば、18歳に合わせた選択もあったはず。その場合、
ぎこちなさやオーバーな演技になったでしょうが、それが似合うと思うのだけど。自然な演技も、
度を過ぎると感情移入しにくくなる例。

 アニメ『タッチ』が成功したのは、想いのすれ違いや緊張感を、よく表現していたから。対して、
ソフィーとハウルの恋仲は、はじめから悪くなし。その後も、恋物語として考察した場合、
それほど危機的状況、つまり反発や誤解は描かれぬまま。『らんま1/2』がヒットした要因は、
「出会いは最悪」という定番の利用も。その手段を放棄して完成したは、ゆったりした気持ちになる映画。

 つまり女性のためのお伽噺なのでしょうね。ほかに気づいたのは、社会に対する悪意の喪失。摂政が、
あっさりと終戦の意を告げること、無理矢理の感、ありあり。なぜ9.11のあとに、これ? つまり、
世界に絶望したうえで、慰み物として製作された映画というのが、私の評価。監督自身、観客、双方に。

 これは初めて、富野由悠季が宮崎駿を越える隙。そうした意味で、
「星を継ぐ者」から始まる映画『機動戦士Zガンダム』三部作を鑑賞することは、私たちの義務。
 明日はその「ガンダム」、ふたたび。

 結局、星三つ半。