人生において何を信じて、なにを信じないかは自由と言われているが、何を信じるのが正しいのかをなんとなく強要されているような気は常々感じる。

 

やめていただきたい。あなたが信じるものが私も信じるとは限らないことなんて言われなければわからないのでしょうか。

 

なにかを信じることを強要されたところで、心の底から信じられるはずがないのです。

 

イエスマンを身近において、己の意見をひたすら肯定させることで、聞いている人の意見を挟み撃ちでつぶすような行いが目の前で起きて、たまらない気持ちになってこれを書くことにしました。

 

信じることと疑うことは表裏一体である気がするのです。

 

誰かが信じているものは、誰かから疑われている。

 

また自分が信じているものは、他人から疑われている可能性がある。

 

どちらかに偏りすぎると、周りの人間が離れていくような気がします。

 

信じることも疑うことも忘れたくないものですね。