『強打者』、『名投手』以降、ピッチャーとして空前絶後の江夏豊自身による近著はない。
しかし、YouTubeなどを検索すると元プロ野球選手のチャンネルが数多く開設されていて、そこで江夏がゲストとして招かれて語る動画を視聴することができる。江夏自身は登場していなくても、他の元プレイヤーたちが江夏にまつわる話をしている場合もある。
時にはネット上の検索でぶつかる記事の類いもある。
ファンとしては、本が出されることを願ってやまないのだが、動画での語りやネット上で見つけた新事実もそれはそれで魅力的である。
以下は、私見と共に動画含めてネット上で私が知った事実のいくつかを備忘録として記しておきたい。
私が江夏のファンになったのは、まず同じ左利きであり、そこに親近感を感じたということ。ただし、江夏の左利きは兄にわざわざすすめられ矯正されたという後天性のものであるのだが。
そしてもうひとつ。
江夏は常に孤高の人だった。
超一級の実力と共に、マウンドの江夏にはどこか孤独感がつきまとっていた。
私はその佇まいに魅了されて来た。
平凡なプレイヤーが孤独感を漂わせていても何の魅力もないことは明らかである。押しも押されもせぬ実力の持ち主にこそ孤独感は似合う。
元阪神タイガースの投手に山本和がいる。
彼が語る江夏は文字通り孤高の人だった。例えばエレベーターに乗り合ったとしても「俺に近づくな」というオーラが常にあったという。そんな雰囲気だから、練習でのキャッチボールの相手が最後までいなかったらしい。
江夏らしいと思う。
元広島カープのショート髙橋義彦のチャンネルに招かれた江夏の喋りも面白い。
あの伝説の「江夏の21球」の年、高橋は22才。「好きにのびのび野球をやらせてもらっていて、シーズン中けっこうやらかしてましたからね、大事な試合、場面で」と言った髙橋に
「うん、まあ、ポロポロ、ポロポロね、何か趣味でエラーしているみたいなね。楽しく野球をやっておられたね」
と江夏は、あのゆったりとしたペースで語る。髙橋もスタッフも釣られて笑う。
今70代半ばの江夏の口調は柔らかである。しかし、語る内容は辛辣で、そこがまた面白い。
元日本ハムファイターズの岡部というピッチャーはジャイアンツの原と同期だったと思うが、現在、女子野球チームの監督をしているとか。その岡部は現役時代、登板試合の時に江夏に「相手はどんどん打ってくる。だからストライクは投げんでいい」とアドバイスされたことがあったらしい。
相手は近鉄で、岡部はそのシーズン規定投球イニングまであと一イニングとなっていた。
江夏のアドバイス通りの投球の結果、近鉄打線を抑え、その年の最優秀防御率を獲ったという。
「すべてボールを投げろ。ストライクは不要」という指示は明快である。
そうした洞察を出来るピッチャーというのは他にいるのだろうか。
かつての三冠王であり名監督でもあった落合が持つチャンネルに招かれた元阪神・西武の田淵も江夏について様々語っていた。
その一つは、阪神時代、キャンプ中の投球練習で江夏の球を受けていた時のことである。
田淵のミットは江夏の球威とスピード、衝撃に負けて捕球時に動いてしまう。江夏は「ストライクがボールになる」とクレームをつけた。そう言われた田淵はミットが動かないために手首を鉄アレイで鍛えるようになった。そのことでホームランを量産出来るようになったのだという。
田淵は「最高のピッチャーを誰か一人挙げろと言われたら江夏しかいない」と語っていた。
田淵は、阪神時代つまり全盛期の江夏の投球は「時速160キロあったんじゃあないか」と語っているが、当の江夏は謙遜なのか「コースコースに決められていたから速く見えただけで、140キロ台後半くらいだったんじゃあないか」と言っている。
真実はどうなのだろう(笑)。
ただし、宿敵だった王貞治は「阪神時代よりもむしろ広島時代の江夏の球の方が速く見えた」と言う。
それこそ、コースコースに決められたためなのだろうが、江夏自身は違う言い方もしている。
「いかに王さんのペースを崩すかということばかり考えていた阪神時代と違って、広島時代には王さんに対しても自分のペースで投げられた」と。
晩年期に近かった王を江夏は自分のペースに巻き込み、翻弄できたということなのかも知れない。
江川との対談では、現役時代一度たりとも登板拒否はしなかったと語っている。しかも、「箸さえ持てないくらい肩肘が痛くても、ユニフォームさえまともに着れないような状態でも、投げ始めたら投げられる」と。
江川はその江夏の回顧に絶句していた。
そんな体験などこれっぽっちもないまま引退した江川は黙るしかない。
江夏の先発完投時代つまり阪神のエース時代は江川の現役時代より長く、より濃密だった。
リリーフエースとしての後期は、江川が引退せずに技巧派として続けていたなら・・と仮定すれば、想像出来ないこともない。もう直球だけで三振を獲り続ける力はない。しかし、それ以外のピッチャーとしての洞察力、ピッチングセンスは並外れている。そこに野村も惚れていた。
だから、江夏は江川に対しての変わることのなかった印象を「天性だけで投げていた」と言う。
「それでは何も努力していなかったように聞こえますから、その点も加味して言ってくださいよ」という江川の依頼に対して、半ば冗談半ば本気で「努力はしたんだろうけど、それが全く身になっていないという」と返していた。
これには江川も笑いながら「いや、身になっていないじゃなくて、見えなかっただけで・・・」と更に訂正をお願いしていたが、カメラのこちら側のスタッフは爆笑していた。
髙橋義彦との対談では、あの「江夏の21球」で得た最大の教訓は「バックを信用しちゃいかんということ」と語っている。
聴き手のスタッフも髙橋も笑い転げていた。
「えっ!? そこに来ますか」と。
これも江夏らしい。
だからこそ孤高の、しかも不世出のピッチャーだったのだ。
そんな江夏の魅力について私は好き勝手に語っていたことがあった。
今は既に故人の珈琲店の主を相手の雑談だったのだが、そんな私に対して主は独特の視点で江夏評を返して来た。
「江夏の魅力は『悪』を抱え込んでいるところにある」と。
そうなのだろうか。
かつて、野村は「王や長島はひまわり、俺は月見草」と言ったことがある。
江夏はそのどちらでもない。
野村のこの寸言は、当時のセパの人気の格差も含めた上での屈折した心情の吐露だろうが、そうした二分法などでは割り切れない魅力を江夏は持っていた。今も持っている。
江夏が野球を語る時、そこには広く深く人間についての洞察も披瀝される。
そうなのだ。
江夏の洞察は文学の手法、作家の追求力に限りなく近いのだ。
文学もつまるところ、「悪についての追求」であるかも知れず。