数日前、地元の駅ビルにあるくまざわ書店を冷やかしていた。
パラパラと立ち読みをして、よほどその気になれば何か一冊を買おうと思って物色していると、本書があった。
掲載されている作品についてはほぼ未読だが、書き手の半分くらいはかつて読んだ記憶がある。
解説文の方を繰ってみる。
冒頭は以下の通りだ。正確に引用してみる。
「交通事故で亡くなった天満博士のひとり息子そっくりのロボットとして造られながら成長しないことに腹を立てた博士によってサーカスに売り飛ばされた鉄腕アトムが、『孤児』としての来歴を持っていたのはよく知られている。」
ええーっ!? 知らなかったよお。無知だったなあ・・・。
もっとも、鉄腕アトムは幼少時のテレビアニメの切れ切れの記憶しかないままで、改めて観直したことはないし、まんがに赴いたこともない。
それにしても、まるで知らなかった。
その「孤児」設定の背後には、敗戦後12万人にも上る戦災孤児の存在があったと編者は指摘する。
この点についても虚を突かれた。というのも、戦災孤児のことは以前から頭の片隅に引っかかっていて、彼らの戦後についてその一部でもしっかり知っておきたいと思っていたからである。ただし、そのことはまだ宿題のまま残っている。
さて、掲載された作品群は実に多彩である。
冒頭には私の大好きな諸星大二郎の一編がある。「地下鉄を降りて・・・・・」と題された作品で、サラリーマンが都内の通勤に利用している地下鉄の駅を降りてから、その日だけ気分を変えて地下街を歩き始めるのだが迷ってしまう。出口がどこにもない。結末はブラックである。
つげ忠男の「夜の蝉」も味わい深い。つげ忠男は、つげ義春の実弟であることは知られていて、私もかつて一二冊買って読んだことがある。兄の義春が「暗い」と指摘するほどの作風である。戦後、売血によって得た金でその日暮らしをする人々が描かれた一編があったことを覚えている。実は、この「売血」という事実は、この一編で初めて知ったのだった。
確かに暗い。しかし、一編のみ、他の漫画家の作品と共に読むのなら中和される(笑)。
つげ義春の「山椒魚」は既読の一編だった。
いましろたかしの「おへんろさん」は、吉村昭の一編を思い出させた。その一篇というのは、お遍路さんをめぐる作品ではなく、ハブ猟師に弟子入りした脱サラの中年男を描いたものである。主人公であるハブ猟師の目を通して、彼の姿が描かれる。ただし、「おへんろさん」の方が軽妙である。
太田基之の「石を買いに来た女」も面白い。石を買いに来た女は、実は石を産む女でもあったというのが結末で、現代の寓話のようで、不思議な味わいがある。作中に「ヤフオク」も出て来る。60年代にまでさかのぼる古い作品が多い中で本作は2014年の作品である。
ジョージ秋山の「パットマンX」も懐かしい。それにしても、少年を描きながら、ここまで哀愁が滲み出るのにはあ然とする。
その他、ひとつとして同じようなタッチ、趣の作品はなく、それぞれが個性的である。
解説には、機能と効率、生産性が最優先される現代の、いや戦後日本に一貫してあり続けて来た社会と経済のベクトルへの指摘もある。
本書掲載の作品群は、そうしたベクトルの強制に異議を唱えている。好き勝手解釈も入っているが、私が魅かれたのは、そこにあるのかも知れない。