かつて三河と信州をむすぶ飯田街道は、三河湾で採れた塩を山国へ運ぶ重要な「塩の道」だったと言う。
その道を軽トラックで寝起きして辿りながら、じっくりと時間をかけて完成した緻密なペン画集となっている。
このペン画のタッチは、どこか懐かしいと思ったのだが、それは山下清のスケッチとよく似ているからだと気づいた。風物や建築物は極めて緻密、それに反して人物はそれらの従属物であるかのように簡素に描かれている。
1980年代半ばから始まった実質はほぼ40日間の旅だったらしいが、その後の再訪もあり、本の完成は2004年となっている。
日記スタイルだから文章も書かれている。
この文章もいい。この界隈、この町の一角、ここからの全景などなどを描くと決めた後、著者はひたすらスケッチに集中出来るための場所を確保する。それがある商店や民家、その他の建築物の片隅だったり、二階や屋上の場合もある。そのための交渉に関わる記述はないが、実に人間臭いやりとりがあったにちがいない。
スケッチをしていると、大人子どもを問わず覗かれ、話しかけられる。そのやりとりもしっかりと再現されている。時には労いのため、飲食物を供されることもある。
絵の中では人物は簡素なのだが、文章中の人物は実に濃密である。
つまり、両面から描かれた著者等身大のドキュメントなのだ。
天気にも当然のこと左右される。夏の時期のにわか雨にはかなり閉口したようだ。軽トラックでの旅、寝食の日々というのも、なかなか真似できはしないだろう。この街道をクルマで一走りすれば3時間で済むらしいし、著者は街道の中継地点のひとつ岡崎在住とのことだから、あえて苦行のような旅をしなくても、往ったり来たりを繰り返せば、とりあえず絵は描けるはずである。
しかし、そんなインスタントなきまぐれ画は著者の頭には初めからなかったのだろう。
肝の座り方が違う。それが本書の味を深く濃くしていることは間違いない。
あとがきでのむすびのくだりは真摯で尚且つかろやかである。
「座ること、見ること、聞くこと、歩くこと、そしてスケッチすること、そのくりかえしを続けていけばいいのだろうと。」
ささやかな宣言と受け止めてもいいのだろうか。ペン画家としての、そしてひとりの人間としての。