え、あなた名前違うでしょ、淀川長治言うのが正しくありませんか。みなさん、そう思うでしょうね。
でも、私、間違ってません。
なぜなら、あの映画評論家として空前絶後の御大 淀川長治先生は既に天上界の人となられていますね。
私はその淀川長治先生の足元にも及びません。けれども、映画大好き、映画について話すのも大好きなんです。でも、これも先生の足元にも及ばないことは重々分かっておるつもりです。
ですから、せいぜい先生のモノマネで色んな名画と呼ばれるものを皆さんにご紹介したいわけです。
ハイ、というわけで、もうこの点は深く追求して下さるな。淀川長すぎた春、まあけったいな名前やね、おかしな男やね。そうお思いになっていただいて構いません。
この淀川長すぎた春がこの「一応、洋画劇場」で今夜、皆さんにお届けする映画、さっそくお話しさせてくださいね。
さて、今回のこの大作に登場するのはひとつの町です。
映画はこの町を一歩も出ない。
監督はかなり偏屈な人ですね。え?あなた、あれこれえらそうに言うけれども、そもそもこの町のこと隅から隅まで知っていますか。知らないでしょう。だからあえて私がこの映画でそれ教えてあげる。
まあ何とも嫌味な監督ですね。
けれども皆さんの中には、この町でかつて起きたひとつの出来事が記憶にある。そうですね、あの昭和の謎の事件、三億円強奪事件ですね。
あの事件、未だに解決していません。
そもそも、知能犯の犯人。警察もマスコミも悔し紛れに「強奪」いう言い方してますが、犯人はピストルだの刃物だのチラつかせて脅したわけじゃない。だから、これは「強奪」じゃない、高度な知能犯による「窃盗」だ。そんな風に監督は言ってます。
もちろん、映画の中でコトバで言ってるわけじゃない。けれども、辿って行けば、間違いなくそう言ってますなあ。映像にそう語らせてるわけです。
この辺、実は監督自身が知能犯なんですね。
まあ、何とも一筋縄ではいかん監督ですなあ。
しかし、映画はそれで終わらない。あの事件だけで、この町のことを語るのはよそう。
観客の皆さんはここでまた肩透かしを食らいます。
そもそも長い長い長い歴史を持つ、この町があんな事件だけで語られていいものか。
けれども、それは考えて見れば当たり前。
映画は何と律令時代にまでさかのぼる。江戸時代の宿場町の頃にも触れる。このあたり、何とも縦横無尽ですなあ。
そうして、実は監督の個人としての感情も入っていたりする、この町に対する熱い熱い熱い思い。
けれども、それだけじゃない。実は監督はこの町が憎いんですね。憎い憎い憎い、もう我慢できない、その憎しみの果てに何があるか。
いつしか、監督はこの町のどこかに迷い込んでしまう。
そうして、ある部屋に辿り着く。そこには何と年老いた自分がナイフとフォーク持って食事している。カメラは監督がもう、その年老いた男にいつのまにかなってしまっていることを示している。それで終わりかと思えば、今度はご臨終の自分。それはあんまりじゃあないか。観客は突き落とされるような気分。
けれども、またその後は赤ん坊として再生するんですなあ。
この見事な裏切り、どんでん返し。
赤ん坊はこの町の未来を継ぐ人間として現れる。
ハイ、というわけで1968年。監督はあのスタンリー・ルービックキューブ。
ひとつの町を大叙事詩のように描き切ったこの映画のタイトルは「2001年府中の旅」。
どうぞ、最後までご覧ください。
〈参考文献〉『淀川長治 映画ベスト1000』他