街中を自転車で走り抜けて見れば 2 | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

2年早く退職して機能と効率のタガを外すことが出来ました。
人生をゆるゆるのびのびと楽しんで味わって行きたいと思う60代です。

 同じテーマの続きである。

 しかし、今度はそんなにマジメではない。

 ホンダバリオ・トライクの代金を払い込んだ後、予約していたダックスのキャンセルに行った地元のバイク屋の前を今日通りかかった。

 日曜日は定休日なのだが、置かれているバイクはガラス越しに覗ける。「オレのキャンセルしたダックスは飾られてるかなあ」と思って覗いたのだが、まだ届いていないようだった。

 

 その先に昔の同級生の家がある。

 親の代まで商店をやっていたので、家の作りが庭も含めて道から見通せる。そいつとは町で何かの拍子に行き合ってもあいさつを交わす仲ではない。お互いそれとなく気づくが、しらぬふりをする。でも、そいつ自身とはもうずいぶん行き合っていない。

 で、ここからはちょっと意地の悪い観察なのだが、中型クラスのハーレーダビッドソンがそいつの家に置かれていた。しかし、ほとんど乗られていないようだった。というのも、本体を見かけたのは稀で、ほとんどはシートがかかっていた。

 それが、今日、通りかかって、チラっと見ると無かった。あー、処分したんだなと思った。

 そいつにはカッコつけ野郎の傾向があった。常にとは言わないが「見せたい」という態度が見え隠れする奴だった。別に被害なんか受けなかったけどさ。

 でも、還暦過ぎて、もうカッコつけだけではハーレーは乗り切れない。カッコつけというエネルギーも減退したのかなと。

 相変わらず自動二輪の免許を持たない自分だが、ライダーの端くれだという自認はある。その自認を前提に言うと、トライクだって、つまり乗りやすい、普免しか要らないマシンだって、乗るのは「熱さ」なんだよ。「見てくれ自慢」じゃ乗れないよね。

 奴は「終わった」かも知れないが、オレは「始まったばかり」なんだよなあ。まあ、これはかなりゴウマンかも知れませんけどね。

 

 ところで、実家までの道のりの途中にもう一軒、別のバイク屋がある。

 中華トライクが壊れた頃、ダックスをその店で見かけた。しかし、直ぐに売れたらしく、見かけたのは一時だけだった。あ、原付小型二種の免許取る前に買っちゃってもよかったのか・・・なんて思いもしたが、後の祭りである。

 その後、イエローカラーのスーパーカブの中古が置かれた。早速、尋ねて見ると、主が気まぐれに修理中なのでいつ売り出すか分からないとのことだった。

 実はひと頃、町中ではスーパーカブに乗り、遠出のソロツーリングはモンキーかダックスで、なんてゼイタクなことを夢想していたことがあった。しかし、クルマを使うこともない距離を自転車で行くようになって、そんなゼイタクは要らない、遠出のための一台で充分だと実感するようになった。あちこちの坂道を自転車で走らくなくなったら体力落ちるしね。

 て、今日、そのバイク屋の前を通りかかったら、グレーとレッドの新車ダックスが一台ずつ売り出されていた。

 へぇー、もうすっかり受注に生産が追いつくようになったのかなあと思ったが、もう私の方は冷やかしで見るだけである。

 

 ずっと住み続けている地元の街中を走ったり歩いたりするのは、好き勝手な想像も含めて実に刺激的である。

 それは、目的を持たない街観察、人間観察ということの面白さと言えるのかも知れない。