司馬遼太郎を「卒業」し、鏡花世界には「在学」のまま… | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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 先に触れた1896年作「照葉狂言」で、“日清戦争”を“日露戦争”などと誤記、訂正した。お恥ずかしい限り。当時、鏡花20代後半…と書いたが、これも誤り。1873年生まれの鏡花は20代前半である…いや、凡なる読者の自分は鏡花の天才ぶりに圧倒されるばかり。

 さて、… 「照葉狂言」に書かれた当時の世情は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでも分からない…と書いた。

 10代の頃、私は司馬の愛読者だった。しかし、同時進行で疑問が始まっていた。はっきりと覚えているのは「龍馬がゆく」の中の、龍馬と西郷の対面場面である。司馬は二人が大柄で、堂々たる体躯だと書いて盛り上げていた。いや、体躯で歴史が変わるか?
その辺りから、馬鹿馬鹿しくなって来ていた。「国盗物語」は切れ味があってワクワクドキドキの英雄談だ。しかし、英雄の強烈な個性だけで時代は進むのか?
 結局、司馬の歴史小説は紙芝居ではないか?そろそろ、離れる頃か?と思いつつ、「燃えよ剣」を読み始め、数ページでやめた。この作家は、本気で面白いと思いながら、こんな小説を書いているのだろうか?馬鹿馬鹿しいことは百も承知の上での読者サービスなのか? 正直、分からないが、とことん下らないと感じた。高校三年の頃だった。その後、あの大岡昇平が叙述スタイルを誉めていたらしいので「坂の上の雲」を手にした。しかし、正岡子規の件はそれなりに面白いが、秋山兄弟がどうのこうの…となると、まるで冷めてしまい、放り投げた。

 

 無論、好き嫌いはある。好き嫌いだけの問題だろう?と言われれば、そうかも知れない。だが、紙芝居レベルという見方はその後も変わらない。主に幕末明治を紙芝居として見せてくれるから、例えば高校の日本史の授業で、教師よりも部分的には詳しく、しかも「見てきたように、生き生きと細かな事実を知っている」のである。今、「」内に書いたのは、それが見せかけだからで、いやその意味では、私の司馬遼太郎「卒業」も見せかけかも知れない。だが、今更、司馬遼太郎の小説は私には不要である。

 

  いつだったか、NHKが「坂の上の雲」をめぐるパネルディスカッションを企画した折、パネラーの一人である関川夏央が「『坂の上の雲』は日比谷焼き討ち事件から書き起こされるべきだった」と皮肉たっぷりに発言したことに対して、他のパネラーたちが聞いているようで全く聞いていない有り様を見て呆れてしまった記憶がある。司馬ファンは神経を逆撫でされているはずで、本来ならしかめっ面をして然るべきなのだ。いやいや司馬ファンは…しかも充分に歳を喰ったファンであり、物書きやら評論家やらの、このパネラーたちは死ぬまで、お花畑に住んでいるのか?とテレビに向かって嘲笑を投げていた。…ただ、関川自身は「街道をゆく」まで含めた、小説を書かなくなった頃の司馬について考察していて、アンチファンなどではないのだが

 

 … 10代で「卒業」してしまった現在の私にはもはや興味が湧かない。50代後半の今、「在学」中の鏡花世界については卒業出来そうもない気がする。死ぬまでに全集一作洩らさず、三読くらい出来るだろうか?