何かに憑かれたような自死の連鎖 | 恋着、横着、漂着 遊び盛りゆるゆるのびのび60代

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巻ニ「鐘声夜半録」1897年作 短篇。

外人宣教師からハンカチに陰画?の刺繍を頼まれ、苦しい暮らしぶりから断れず、結果、それが新聞ネタにされ、自死を選ぶ娘、その仲介をした女も命を絶つ。そして娘のために宣教師からハンカチを奪おうとして果たせず恥をかかされた男は切腹、その三人の振る舞いを見て義憤にかられた筆者は宣教師を殺し、自死する。書かれた小説は、遺書のような形をとっている。
絶望と狂気と、死神にでも取り憑かれたかのような自死の連鎖である。筋運びはスピーディーで、読者はあっという間に結末を示される。
本作の書かれた同年には「外科室」も書かれている。予測不能な筋運び、狂気と自死という点は共通しているが、作品としては「外科室」の方が数段上だろう。

ところで、「一之巻」から「誓之巻」に至る半自伝的物語は、幼少年期の心情が巧く書かれているのに比べて、青年期のそれが失敗しているという印象を受けたのだが、それは鏡花自身も気づいたのではないか?
となれば、もっともっと危うき自我と外界との間の夢うつつを描くことに思い切り舵をきった方がいい。そのために主人公を少年のままでいさせるなら、手を変え品を変え、主人公と読者を幻惑し、陶然とさせることは可能だろう。そこでは時間が止まり、人としての成長云々…などと主人公も作者も煩わされることもない。それも尽きてしまったら…少年と変わらないような無垢、世間と交わろうとしない純粋な、静かな狂気さえ感じさせる青年、男を登場させればいい…。
鏡花が繰り返し、確信犯的に使う、あの設定と手法は、この頃に…とヘボな頭で考えてみた。