今日、母が入院しました。
この数日食欲がなく、水分もとれていなかったので、このままの状態が続くと危険だと判断し、「救急車を呼んでもいい」と母に聞くと素直にうなづいてくれたので、持って行くものなどを手短にまとめて119番に連絡をしました。
電話をするとすぐにサイレンの音が。
3人の若い救急隊員がストレッチャーや携帯用の医療測定器を肩に担いで来てくれました。
そして早速、母をストレッチャーに移して身体状態の測定を。
救急隊の見立てでは脱水症状と酸素不足があるとのこと。この間、別の隊員は事情を聴いたり、運び込む病院についての説明を。
なんか、「一番近くの病院」がまず候補だとか。
そう、近所にも2か所あることはあるのですが、私は、この夏に夫が入院した昭和大学豊洲病院ならば家からも近いし、勝手もわかっているのでそこを希望。
するとすぐに連絡を取ってくれて、幸い先方も受け入れてくれるというのでお願いすることにました。
ところで、母も私も救急車に乗るのは初めてに近い体験。
(父のとき1度乗っていますが)母は、10数年来、診療所で薬は処方されていますが、大きな病院にかかるのはこれまた初めての体験。
ましてや入院なんて若いころ盲腸の手術で入院したことはありますが、それこそ数十年ぶりの事。それほど病気とは無縁できました。
たまたま、往診を頼む医療機関に出すために母の居住地の診療所から「紹介状」をもらってきていましたので、それが少しは役に立ったようですが、血液検査や胃や腸のCTなど、検査には6時間くらいかかりました。
そして言われたこと「いい時に来ましね」と。
このまま受診しないでいたら「危なかった」ということでした。
経験のないものが救急車を呼ぶのはかなり勇気のいることでしたが、判断が間違っていなかったことにまずホッとしました。
ところで、母が入ったのは救急患者の病棟。まるで集中治療室のように何の仕切りもない大きなスペースにずらりとベッドが並び、男性も女性も混合の病室。
えっ?ここに入院?何とも嫌な予感に戸惑う私に看護師が、「救急で来た人はみんなここに入院です。先生から説明があったでしょう」と。
「そんな説明は聴いていません」と私。
そういえば入院となると、まず部屋の形態を聞くはずなのにそれがなかったので、私も変だなとは思っていました。
いくら医療の管理が必要だと言っても、これでは精神的に余計参ってしまいます。そのうえ、ベッドの両サイドには柵が頑丈にはめられていて、トイレにも行けません。(母は尿意・便意はあるのでおむつには絶対にしないでほしい、ベッドサイドにポータブルを用意してほしいと、それだけは頼みました)
ベッドの柵は、夜中などに寝ぼけて歩くことで起きる骨折防止の安全柵だそう。ですから、トイレに行きたくなったらナースコールで呼ぶようにと。
そういう不安なことがいくつかありますが、ともかく、「悪いところを良く調べて、いい状態で家に帰れるようにしましょうね」との言葉に私は、神にすがる思いで、感謝しながら母を託すことにしました。