連休が終わりました。
毎年、5月の連休だけは「仕事」を忘れて自分のために使うことにしています。
そして今年も、後半は友人を招いて会食したり、母のところでたっぷり農作業をしてきました。

友人は、ずっと「活動屋」の世界で仕事をしてきた仲間たち。
私より先輩で年齢も上ですが、殆どの人が厳しい世界を生き抜いてきて今も現役で活躍している恐るべき人たち。
私は大勢のスタッフでやる仕事を離れて何年にもなりますからあまり若い人たちとの交流はありませんが、今の映像の現場の若い人たちからみるとみんな「神様」のような偉い存在?の人たちばかり。
貴重な現場体験を積んできた人たちとの会食に、懐かしい昔を思い出して若返りした気持ちになりました。

そして夜はインターネットの環境がないので読書三昧。
といっても、かすかに聞こえてくる波の音を聞きながら読書していると、いつの間にか寝ていることが多いのですが…このところ閣僚の靖国参拝などで物議を醸している歴史認識について、もう一度自分なりの考えをきちんとしておきたいと思って、明治の時代からの国家形成の足取りを中心に読んでいますが、この連休中には2冊の本を読みました。
1冊は、板野潤冶(東大名誉教授)著の「未完の明治維新(ちくま新書)」、もう1冊は中塚明(奈良女子大名誉教授)著の「歴史の偽造をただす(高文研)」。
中塚先生は6月のゼミで講演を聞くことになっていますが、かっての戦争は「侵略ではなかった」などということが公然と言われている今日の危ない歴史認識は、それが意図的にされているとはいえ、将来に取り返しの付かない過ちを再び犯すことにつながるのではないかと思うと、本当に怖くなってきてしまいます。

歴史を学ぶことは未来を見ること。
そのためには、歴史の真実をしっかり見つめる目を養わなくてはいけないのでしようね。

連休中はお天気にも恵まれて農作業もずいぶんはかどりました。
といっても、今年は堆肥を沢山入れたので、耕運機で土と混ぜる作業に手間取り、予定通りには運びませんでしたが、それでも一通りの夏野菜の苗は植えつけることができました。
本当ならば堆肥と土を混ぜるのは植え付け前の2週間前に済ませておかないといけないそうですが、先々週は山と詰まれた堆肥を畑に入れるのに精一杯で、また、絹さややたまねぎなどもまだ植えたままだったので、それらを取去って土おこしも同時に行ったので、かなりの粗作業。
後の水遣りなどは母に頼んで来ましたが、せっかく植えた苗が枯れていないかとっても心配です。

考えたら、私はただ植えるだけ。
後の始末は何もできないのですから、無責任といえばこんなに無責任なことはありません。
だから専業農家のような立派な野菜はできませんが、それでも育つのですから、やはり「まかぬ種は生えぬ」なのでしょうね。
枯れないで育ってくれれば、これからが楽しみです。

連休最後の日は、横浜に住む従姉たち一家が母に会いに来てくれ、畑仕事も手伝ってくれました。
予定ならば、新婚の甥が連れ合いと来てくれる事になっていたのですが、彼女のおばあさんが亡くなって急遽、葬儀に九州に行ったのでこれなくなって困っていたところでしたので大助かり。

従姉と会うのは10数年ぶり。近くにいながらそれぞれ生活が違うとなかなか会う機会もありませんが、でもそんなに長く会っていなかったようには思えないのが不思議。
子供のころは和歌山の祖父の家で、20人近い従兄妹が姉妹同様に育ってきたからなのでしょうか?(和歌山には疎開をしていました)
年は私と同じですが、少しも昔と変わらず、素敵に年をとっていました。

従姉の訪問に母はとっても喜んで、昔話に弁舌を振るっていました。
母と従姉とは血縁関係はありませんが、少しの時間でも生活を一緒にしただけに、懐かしさもひとしおのようで、いつもと顔つきもまったく違って本当にうれしそうでした。

今は昔のように、家族といっても、みんなそれぞれが生活するのに精一杯で、そうした人間関係が殆どありません。
でも、それは大切なことなのだなと、改めて思いなおしているところ。
一時は、血縁のわずらわしさからどうしたら逃げ出せるかと、そんなことを考えたこともありましたが、理屈ぬきに「素直」になれる関係は本当にいいものです。

さて、連休最後の日は、そんなこともあって帰宅したのが深夜0時。
連休明けからは、また、時間に追われる生活に戻ってしまいました。

そして今日は、上映の打ち合わせに千葉に行ってきました。
たまたま、そこが京成バラ園のそばだったので、バスを待つ間、ちょっとバラ園に。
いい香りと今が盛りとばかり咲き誇っているバラ園の中を一人で散策し、帰りに黄色の素敵なバラの苗と用土を買ってきました。

その後、また打ち合わせに出かけなくてはならなかったので、まだ植えていませんが、果たして根付くかどうか…今から楽しみです。

ブログを書いているのですから、できるだけ写真を撮ろうと思うのですが、それがなかなかできません。
でも、これだけは撮っておかなくてはと、収穫したたまねぎを撮りました。
半分は無責任に、それでも一生懸命に苦労して育ててきたのですから…
無責任の分だけ玉は大きくはなりきれていませんが、私にとっては感動の一瞬です。
見てください。

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            従姉の家族たちと絹さやの実を採っているところ

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