「首をつろうと思って紐を捜したけれどいい紐が見つからなかった」土、日が仕事だったので、月曜日の夜からお彼岸のお中日を利用して母のところに行ったとき、夕食に駅前のすし屋で買っていったおすしを食べているときに、母がぽつんと言った言葉です。
 「こんな年になって生きていてもしょうがないもの、誰も来ないし、何日も誰とも口も聞かないで」いつもの母と違ってかなり気持ちが落ち込んでいるようでした。
 母は昔から、気丈夫な反面人の気持ちも考えない勝手なことをよく言いましたが、その言葉を聴きながら、私はなんとなく母の気持ちが分かる思いがしました。
 「体が動けばまだいいけれど、何もできないし、押入れを片付けようと思ってもそれもできないし、誰の役に立つこともできない」
 人は落ち込んだらどこまでも落ちこんで行くものなのですね。
 そんな時どう返答したらよいのか、他人ならば優しく相槌を打って、気持ちの落ち着くのを見守ることができるのですが、身内となるとなんとなく気恥ずかしい思いがしてそれができません。そして返す言葉が「そんな馬鹿なこといつまでも言っていないで、早くお寿司を食べたらどうなの」と、またいつもの癖で冷たく言い返す私。本当は母の気持ちはよく分かっているのですが、親子となるとどうしてそうなのか、でも私も心の中では母と一緒に泣いていました。
 年をとるということは、本当はとってもさびしいことなのですね。
 特に体が不自由になると、気力まで萎えてしまい、行き着くところは「死にたい」。
 本当は母にそんな言葉を言わせたくないのですが、母もきっと分かっていながら、誰かに甘えたい気持ちが強くなっていたのでしょう。それだけ全身の体力も落ち、今はただ気力だけで生きている感じですから、無理もないと思います。でも、まだ5年やそこらは死なないだけのエネルギーは十分にありそう。いや、もう最期に近づいているのかなあ。
 その夜はお風呂に一緒に入ってたっぷり背中を流し、出たら、かさかさしていてしわしわの体
にクリームを刷り込んで(やさしく)、それから足のつめを切って、少しは気持ちが落ち着くように精一杯私も努力して母につくしました。
 でもまだ一人でトイレにも行けますし、頭も私よりしっかりしていますので、そして電動車椅子で私を駅まで送ってくるのですから、気力が戻る楽しみを見つけてくれるといいのですが。
 その楽しみが私だから困ってしまいます。(きっと母がいなくなったときには、私には最高の思い出になるだろうなあとは思いますが)
 
 本当は、母のことを書こうと思ってブログを開いたのではありませんが、昨日からそのことが私の頭の中を離れなかったものですから…
 
 そして、世迷言を書いてから本題に入ろうと思っていたのですが、時計を見たらもう午前2時近く。
 いけない!明日も朝から予定が入っていて早く起きなくてはいけないのです。
 ですから本題はまた後日かきます。