本が多すぎる

 

総務省統計局によると、本は1年間におよそ7万タイトル出版されている。1日平均191冊。

自称日本一の読書家が毎日191冊を死に物狂いで乱読して1年間で7万冊読破するとしよう。家中、床から天井まで本だらけになって、読み終えた本で作った高段ベッドの上に布団を敷いて天井スレスレで眠る日々。365日、寝ているあいだ以外のすべてを読書に捧げて得られるものとはなんだろうか。

 

1日8時間眠るとしても191冊分は1冊あたり5分で読了しなければならない。哲学書も料理本も児童書も1冊5分。本を手に取り、目次を眺めてぺらぺらと捲っている最中にタイマーは鳴る。いくら速読の達人だとしても5分で小説を読み終えることはできないだろう。これが40年間で7万冊だとしても7時間に1冊読むペース。どちらにしても、1年間に出版される本を読破するのは無茶な事業だ。

 

365日かけて7万冊乱読する読み方に比べたら、読みたい本を自分で1冊選んで丹念に読む、という当たり前の行為が清い本との向き合い方だと感じる。

 

本の分類

 

日本十進分類法をみると、0総記から9文学まで分類されていて、さらに000~999まで分けられている。

 

【類目表0~9】10区分

哲学、社会科学、自然科学、芸術、文学

【網目表00~99】100区分

西洋哲学、法律、天文学、彫刻、フランス語

【要目表000~999】1000区分

古代哲学、憲法、太陽、石彫、文法・語法

 

のように整理される。

1年間に出版される本のタイトル数は7万冊。これを平均して要目表に置くと1区分あたり70冊になる。

すべての要目表を1冊ずつ読もうとすると、1000冊になる。

一を聞いて十を知るのように、例えば、13西洋哲学の131古代哲学を1冊読んだら、他の69冊は似たような内容が書いてあると思って読まない。1冊読んで70冊読んだ気になる。

また、芸術7→彫刻71→石彫714を1冊読んでみたものの、いまいち面白くないと感じたら、彫刻710~718まではスルーしてしまう。区分8×平均70冊=560冊を読んだことにして先へ進む。1冊読んで560冊分読んだ気分になる。

 

なんでもいいので、1冊気になった本を読んでみて、面白いと思ったら類目表→網目表→要目表までたどって、他にも似たような本がないか検索してみる。逆につまらないと感じたら、いま読んだ要目表はスルーして網目表の別の区分を調べてみる。例えば、類目表(芸術7)→網目表(絵画72)の本を手に取る。石彫をつまらないと感じたからと言って芸術に興味がないと思うのではなく、別の区分に当たっていくのが良い。

 

こんな具合に初めから読まず嫌いせずに好奇心を高ぶらせたまま縦横無尽に自分を駆り出す。勉強のためとか、これが自分の読むべき本だなんて堅いことは抜きにして、手当たり次第読みあさっていく。広い視野をもっていれば、早々に1000ある区分から100種類の様々なタイトルの本が本棚に収納されるようになるはずだ。

 

本を読んだらすること

 

読書を通じて新たな知識を得たら、ノートにメモを取ったり、ブログを書くようにしたい。別に読んだ本の感想を書く必要は無い。ただその時思っていることを書く。

本を読んだだけで終わることが習慣になってしまうのは、料理を食べて美味いとも不味いとも思わないようなもので、もしも、作ってくれた人に味を聞かれた時に、自分で思っていることをうまく言葉に出せずに照れ笑いで誤魔化すようになりかねない。本を読んでいるつもりになっているだけで本当はこれぽっちも理解していないと思うことは多い。そんな不安を払拭する1つの作業が書くという行為だと思う。本当は誰かに話すのが最も効果があるのだろうが残念ながら友達がいない。何を書いてもいい。ちゃんと読める文章になっていて、堅苦しくなく、書く練習だと思ってなんでも書く。

 

自分に最も価値のある本は既に出版されているか

 

全国の書店・図書館の蔵書200万冊の中に、自分にとって最も価値のある1冊はあるのか。この1冊を読めば、他の本は読む必要のない究極の本。

この問いには「ない」と答えたい。

仮に5000年生き延びて200万冊読んだとしても、見つけることは出来なかったと言うだろう。

その理由は単純で、途中で飽きてしまうから。せいぜい1万冊目には、もう本はうんざり。見たくもないという感情が芽生えて、10,001冊目以降、惰性でパラパラ捲って本と向き合うことから遠ざかる。本に頼り、人生に大きな影響を与えてくれると信じてから1冊目を読み始めた愚かさに気付くように思う。

 

究極の炒飯

 

日本全国にある町中華を食べ歩いて自分にとって最も美味しい炒飯を決めようと決心したとする。

中華料理屋が全国に何軒あるのか分からないが、全国の町中華を調べていざ出発。おそらく初日、最寄り駅前、3店舗目の町中華の炒飯でギブアップするかも。理由は味に飽きてしまった。店舗は違えど炒飯は炒飯だ。多めの油でご飯と溶き卵を炒め、ネギ、チャーシュー、ナルトを入れ、塩コショウ、調味料を入れて強火で一気に仕上げる。

 

自分で作る。自分で書く。

 

自分にとって本当に価値のある本は、自分で出版した本になると思う。しかし、残念ながら自分は頭が悪く、文才とは縁の無い性分なので本を著わすことはない。ブログを200ページ書いて、印刷してホチキスで留め、用紙の束に表紙を付けて、本らしい装丁に仕上げて、これをもって最も価値のある本としたい。

炒飯も同じだ。自分で作った炒飯がこの世で一番美味いと思えばいい。どの店にも真似できない薄味の炒飯。

 

おわりに

無いものをあると信じたり、価値のないものを追求するのも気分が高揚して楽しいのかもしれないが、待てど暮らせど残念ながらそこからは何も得られない。

ブログを書いて自分の拙い文章を向上させるために本を読み、キッチンに立って薄味の手作り炒飯に舌鼓している方が健康的で楽しいはずだ。

そんな気がする。

珍来