不肖・うつ病の<you.>(読み方:ゆう)です。
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EAで人気No.1の書籍「今日この日」を使って、ほぼ毎日祈りと黙想を行っています。
まずは今日の文章から一部だけ引用します。
私の悲哀のとてもたくさんが、自分自身の非現実的な期待によってもたらされる。このプログラムにやってくる前は、非現実的な期待と現実的な期待との間のバランスを見つける手助けをしてくれるガイドラインやハイヤーパワーを持っていなかった。
「今日この日」(日本語訳版、2013) 12月9日 今日の思い、より
So much of my grief is brought about by my own unrealistic expectations. Before the program, I did not have guidelines or a Higher Power to help me find the balance between unrealistic and realistic expectations.
From 'REFLECTION FOR TODAY' of December 9th , "TODAY" (1987)
ある12ステップの集まり(ミーティング)に参加させていただいた時のこと。
ミーティングの中で参加者が一人ひとり自分の話をする時間(私たちはそれを「分かち合い」と呼んでいる)に、
ある仲間(12ステップの集まりでは、親しみをこめてこう呼んでいる)がこんな話をしてくれた。
「(別のある仲間をそのミーティングから)出入り禁止にした」
よく話を聞いてみると、迷惑行為があったみたいだ。
12ステップミーティングには2種類あり、
問題の当事者だけが参加できる「クローズド」と、
当事者以外も参加ができる「オープン」とがあるのだが、
そこはオープンミーティングだった。
また12ステップの原則的な考え方は、どんな属性をもつ人であれ開かれていると、私は考えている。
私は、「へぇ~、人が嫌がることをするのはよくないことだけど、
それを注意したり、スルーしたり、ブロックしたり、反撃する術を
ここの参加者の多くがもっていないんだぁ」
と思った。
ここに参加している仲間は全員成人していて、30代以上の人たちしかいない。
そこに集まる仲間たちに対する、私の期待値が大きく下がった出来事だった。
またこんなこともあった。
とあるミーティング後のこと。
あるEA(イモーションズ アノニマス)の仲間が私のことを「ゆうは、~」「ゆうが、~」と繰り返している。
そこには「ゆう」は私しかいなかったが、
私とその仲間は初対面だった。
私に対してだけでなく、他のメンバーに対してもそうで、名前の後に「さん」とか「くん」とか「ちゃん」とか付けないのだ。
これには驚いてしまった。一般常識的にはちょっとありえないんだけど、...。
他のメンバーはそのことを指摘しないんだけど、落ち着かないんで私は、
「初対面で『さん』付けもなしで呼ばれるのは初めてなんですけど。」
と申し上げた。
すると、何が問題?といった表情で、親しみを込めてそうしているとおっしゃる。
私がどう応じたか、細かいところは忘れてしまったが、
皮肉も込めてこれくらいは申し上げたかもしれない。
「あなたの感覚はアメリカンかもしれませんけど、ここは日本で、私たち日本人なんで。
だから日本の流儀の方がいいと思いますよ。」
付き合いの経験や合意や許しもなしで、
何で他の人の中に無闇に踏み込むかのような印象を与えてしまう言動ができるのか、いまだに謎ではある。
これも期待値が大きく下がった出来事で、
「悲哀」は特にはなかったけど、私は内心大きなため息をした覚えがある。
ミーティングに集う「神の子」らは、こうして霊的に鍛えられるのかも知れない?!
(あっ、ミーティングで出会う仲間がみんな、こんな方々ばかりではないんですよ。)
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私が、自分が持っている「誤ったプライド(自尊心)」を手放すことができますように・・・
私が、もっと物事をありのままに受け入れることができますように・・・
私がもっと大人になれますように・・・
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※「今日この日」について
「今日この日」は、EAのメンバーによって書かれたもので、1年365日利用できる「思いや祈りや瞑想」のための本です。
今回ご紹介した文章はあくまで引用であり、ほんの一部分です。
EAの関連書籍はEAホームページからも購入ができます。
オリジナルの英文で読みたい方はこちらから購入ができます。
※おことわり
このブログにおいて表されている考えや意見、感想等は、私個人によるものであり、EA全体を代表するものでも、特定のEAグループを代表するものでもありません。