96.「今までの氏族観を超越する新しい氏族の形成、それが統一教会と教会員の行く道です」 | 御言 missing link

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 先回までの3回に渡る記事の中心は、
「20世紀始めの韓国における『神霊団体』は『ヨセフ家庭と同じ使命』をもっていた。その代表的な人物の一人であった李龍道が文先生と出会う以前に33歳でなくなったことは、文先生の苦難の路程を決定づけるほどの大きなことだったのではないか?」
 というものでした。
 御言の引用が長く、また、摂理史的な内容だったため、関心をもって最後まで読まれた方は少なかったのではないかと思います。ですが、「ヨセフ家庭」という観点を踏まえた内容は、御言にあるにも関わらず、これまで公にはあまり言及されてこなかった内容です。逆に、それだけに何か重要な意味があると感じています。
 長い文章を忍耐強くお読みくださった方、ありがとうございました。
 今回は、少しだけ補足したいと思います。
 次の御言は、以前にも提示しました。

「(神様の恨を解くためには)その次に、ヨセフの一家をつくらなければなりません。そこには遠い親戚の人など全ての人々がいなければなりません。これを成すために数十年精誠を尽くして築き上げたのが統一教団です。このようにつくっておいたのは何をするためでしょうか? それはイエス様を愛することができる出発の起源をつくるためのものでした。ヨセフの家庭で母親と父親を中心とした家族が恨を結ばせたのがイエス様の死のきっかけだったので、‥‥‥ですから、イエス様の立場、またイエス様の兄弟、お姉さん、おばさん、おじさん、おじいさん、おばあさん、甥などの親戚圏を代身することができる、この地上で糾合している群れが私たち統一教会の食口なのです。 (御言葉選集第40巻「統一食口の使命」1971年1月16日 釜山教会 2012年1月16日午前5時 天正宮博物館 「天地人真の父母国民支持世界大会」で訓読)

 私達には、ヨセフの一家やその親戚圏を代身する役割があったらしいということは、第88の記事ですでに申し上げました。次の御言も、そのことと無関係ではないかもしれません。

「皆さんが今、全世界の統一教会を中心として、先生の一族と祝福された家庭を中心として、氏族編成をしているのです。」 (ファミリー 1996年2月   P24「真の父母を誇り愛そう」)

「統一教会は、他人同士が集まって新しい家庭を形成し、今までの氏族観を超越する新しい氏族を形成しなければならず、‥‥‥これが統一教会と教会員が行く道です。」(祝福と理想家庭Ⅲ P185 「祝福家庭を通した第3イスラエル圏の編成」)

 イエス様におかれては、ヨセフ家庭が言わば「ホームチャーチ」だったのかもしれません。そこで、ヨセフ家庭は「8人家族の形態を整え、信仰基台と実体基台を立てて、メシアを迎える(→第65の記事)」立場にあったのではと考えることができます。そして、それが拡大されて、イエス様はヨセフ親戚圏における氏族のメシアとなり、さらには、民族、国家、世界へと拡大されていくはずだったということだったのではないかと。
 では、ザカリヤ家庭とその氏族はどうなるのでしょうか? 
 イエス様は、洗礼ヨハネの妹を妻として迎えるはずだったという御言があります。

「そうなると、イエス様の相対は誰になるかというと、(先生が図を書かれる)アダムの妹です。アダムの妹を天使長が取っていったのです。これが堕落です。カイン(洗礼ヨハネ)の妹を、今度はアダム(イエス様)が取ってこなければならないのです。これが蕩減復帰です。分かりますか? イエス様とヨハネの関係を見れば、こっちがカインです、こっちがアベルです。アベル(アダム)の妹をカインが取っていったのだから、カインの妹を、今度はアベル(アダム)が取ってくるのです。まさしく蕩減復帰です。そうなるというと、洗礼ヨハネの妹を、イエス様は妻として迎えなければならなということになるのです。(女性修練会「真の自分を探しましょう P85」1993年12月19日 韓国・済州研修院 )

 イエス様が、洗礼ヨハネの妹を妻として迎えていたならば、ザカリヤ氏族とのつながりができたはずです。そうすれば、ザカリヤ親戚圏もイエス様にとっては氏族圏となり、ここでもイエス様は、まず氏族のメシアとなったはずではないでしょうか。
 一方、洗礼ヨハネの妻はどこから迎えることになっていたのでしょうか? 私は、もしかしたら、ヨセフの親族からだったのではないかと思ったりしています。文先生が、「交叉祝福」を強調されてきた本質(蕩減復帰的な)の一つがそこにあるのではないかとも考えています。根拠はありません。推測です。今後、皆様にも検証をお願いできれば有難いです。
 当時、この子羊の婚姻に対し責任を持つべき立場にいたのが、マリアとエリサベツでした。イエス様が洗礼ヨハネの妹と結婚するためにはイエス様だけでは難しかったはずです。婚姻だけが重要だったのではなく、ヨセフ親戚圏・ザカリヤ親戚圏の上に立つことが重要だったと考えられます。その意味でマリアやエリサベツが果たさなければならなかった使命は大きかったのではないでしょうか?

 さて、私は、現在にも、ヨセフ家庭、ザカリヤ家庭があるのではという疑問をもっています。第88の記事の中の、「イエス様の立場の12歳の少年」が、1971年当時、もし、本当にいたとしたら、その方の、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭があったはずだからです。
 そして、文先生がこの御言を訓読された2012年にも、同じように「イエス様の立場の12歳の少年」がいたとすると、やはり、その方のヨセフ家庭とザカリヤ家庭があったはずなのです。
 もし、皆さんの中に、この12歳の少年に心当たりがあるなら(「あるわけないだろ」ですよね)、その方の育った家庭が現在のヨセフ家庭で、その方が特に懇意にしておられる(イエス様の時代の蕩減復帰として)家庭があるとしたら、それが、現在のザカリヤ家庭なのかもしれません。

「一例をあげますと、ここに12歳になった幼い少年がいるとしましょう。それが正にイエス様です。イエス様だと考えなさいというのです。イエス様の復活体なのです。イエス様が再現したのです。彼の過去がどうであるにせよ、神様の心情に対してイエス様として再現させたのです。  (御言葉選集第40巻「統一食口の使命」1971年1月16日 釜山教会 2012年1月16日午前5時 天正宮博物館 「天地人真の父母国民支持世界大会」で訓読)

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