40.「反日的御言の背後に見る願い」 | 御言 missing link

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40.「反日的御言の背後に見る願い」

 文先生ほど日本人の性質・気質を知り、それに好感をもち、さらに信頼を寄せてくださった方はいないのかもしれません。
 韓国と日本を一体化させるために、その日本人の気質に賭けた「仕掛け」を残されたのではと思っています。「反日」の御言として。
 もちろん、反日的な御言のすべてが、その「仕掛け」だというわけではありません。事実を語られた部分もあるでしょうし、別の目的で語られたところもあるかもしれません。
 ですが、その「仕掛け」を残すことにより、2つの国が神様の前に、本当の意味で打ち解け、一つになる道を選ばれたのではないでしょうか。たとえ、後の歴史家が、歴史的事実とは違うと主張し、一般の人々から「うそつき」呼ばわりされるようになったとしても。ご自身の名誉が損なわれれることなど微塵も気にかけておられなかったと思います。

「先生の一生は、韓国民族が日帝時代において受難の渦中にある時、先生も獄中生活をしました。それは民族の解放のためにです。先生にあらゆる甘言異説を使って、『出世をさせてあげる、良くしてあげる』などと言ってきたのですが、先生は今日まで苦難の道を選んできました。そうすることによって、神が憎む日本の国には少しの関心をもたないようにしたのです。神が切ってしまわれたのです。獄に入れられたのは、日本に対しての思いを完全に切ってしまうための神の作戦でした。今になって考えてみるとそうなのです。」  (ファミリー87/6 30p~31p 過ぎてみると愛であった 1987年 2月3日 ワールドミッションセンター)

「神が憎む日本」
と言ってはおられますが、そのあとには
「日本の国への関心」「日本に対しての思い」
とあります。これは、もともと、どういう「関心」で、どういう「思い」だったのでしょうか?
 この御言だけでは知る由はありませんが、決して、もともとの「関心」「思い」が悪いものだったとは思えません。

 さて、韓日の一体化を阻む障害は、すべて日本にあったのでしょうか?
 それは、むしろ韓国にあったと言えないでしょうか?
「日本が悪い」を繰り返す韓国の人々の心の中に。
 そこで、文先生は、この韓国人の気持ちに乗じるようにしながら、韓国を持ち上げ、一方では徹底的に日本を悪く言われたと考えることができます。文先生が日本を賞賛されたことなどなかったと思うのですが、その反面、日本の食口、特に女性をどこまでも愛されました。その愛と御言を受けて、日本の食口は頑張りました。何とか、責任を果たし、願いに応えたい。そして、悲惨な結果を避けたいと。勿論、そこには自分が救われたいという動機がなかったわけではありません。
 その活動は、常識的な限界を超えたものでもありました。
 必要以上の苦労と辛酸。褒められることはほとんどなく、折りあるごとに「日帝時代には」と日本を否定し続け、悪者にし続け、悪いことはすべて日本のせいであるかのように説き、変わらぬ精誠を要求し続けた文先生でした。
 でも、考えてみて下さい。本当に悪いものに対し、それを、いつもいつも、ことあるごとにぐちぐちと、指摘し続ける文先生だったでしょうか? 本当に悪いものに対しては、ほとんど糾弾されることもなく、その赦しと救いの道を開いてこられた文先生ではなかったでしょうか。
 仲の悪い兄弟であっても、責め続けられる弟を見れば、いつかは兄は「お父さん、お母さん、そんなに弟を責めないで」
 となるところではないでしょうか。
 文先生は、もう一方の国が、気づくのを待っておられたように思えるます。

「ご父母様、もういいです。ご父母様のお気持ちがわかりました。私達にも誤解や間違いはありました。これからは、仲良く、本当に一つになって、がんばります。神様と世界のために。そして、ご父母様のために。」

 それに対して、日本人は、決して、
「いやだ」
 とは言わないことを文先生はよく知っておられたのでしょう。
 こんなとき、日本人は、古くから使ってきた得意な言葉を用いて、
「では、お互いにすべてを水に流して、一緒に頑張りましょう」
 と、喜んで言うであろうと。

 この韓日一体化の最終的な取りまとめをする大きな鍵を握っておられたのが、享進様だったのでは、と思っています。もちろん、享進様の使命は、それだけではなかったと思いますが。
 享進様は、以前、日本の家庭を何件も訪問してくださいました。世界会長就任後、そのときの様子を証してくださったことがあります。

「日本の食口は決して豊かな暮らしをしているわけではありません。狭い家に、家族で身を寄せ、質素な生活をし、節約をして、借金をして、そこから献金しています。韓国の教会は、もう日本の食口にたよるのをやめて、自立しましょう。」
と。

 文先生は、享進様のことを喜んで見ておられたように思います。享進様がこの件に関して文先生の真意に近づかれたことに、文先生は喜びを隠せなかったのではないでしょうか。
 ですが、この韓日一体化の「仕掛け」は、日本人が気づいても効果はありません。文先生の御言と歴史的事実をならべ、その差異に気づき、「なぜ」と考えることで、親の真意に出会う。そして、本当の意味での一体化にいたるためには、‥‥‥。
 それを期待する文先生のまなざしは、果たしてどこに注がれていたのでしょう?
 私がこれまで言い続けてきた
「直系を受け継ぐ一中心」、「第4次アダム」、「氏族メシアの中心」、‥‥‥
は、日本を執拗に責める韓国ではなく、責められる日本において実を結ぶのかもしれません。

 きょうの主張は、決して御言に根拠を置くものではありません。単なる推測の域を出ません。そして、文先生が語られた反日的御言の一面の理解に過ぎないと思っています。

「子供の成すべきことをサタンがすぐに持っていって成した場合には、また、神の二重の苦しみが生じてくるのです。だから、それは暗示や比喩をもってなす。表示や合図で持って教えるのです。それは真理を愛する子女関係を結べば分かるのです。 (祝福 66 P172 777双聖酒式後の御言)

 第1の記事で、提示させて頂いた御言の一部です。
「真理を愛する子女関係を結べば分かるのです」
 の「子女関係」にこだわると、きょう申し上げたような、意味があったのではと、思えてくるわけです。

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