3月31日
僕は韓国という国を後ろにしたまま、
日本という国で改めて人生を始めることにしました。
大人としての第一報と言うか^^;
最初は,
ただ外国で生活するってことだけで
凄くドキドキしてました!
そして実際に最初の三ヶ月くらいは
楽しかったのかな。。と思います^^;
その後は、
どうでしたかと聞かれると。。
ん。。。ま10ヶ月間は確かに
順調だったと思います。
他の留学生とそんな違いはありませんでしたからね^^
バイトして、学校に行って
また、バイトして学校に行って
いつもそんな日々だったんです。
ちなみに、バイトとしては
やっぱり最初は
日本語ができなかったため
韓国の食堂の厨房で
朝6時から昼間の12時まで
週6回のペースで
9ヶ月間働いてました。
それから1時からは、学校で
まだ学校が終わったら
家に帰って勉強^^
その時が、確か一番日本語が
伸びてた時なんじゃないかなと
思うんです。
なぜかと言うと、朝が早かった分
いつも10時まで一人で
仕事をしてたので、
毎日、日本のドラマを音だけ
ヘッドホンで聞いてたんですからね^^
いつの間にか台本まで
覚えられるように なったと言う^^;;
そして2008年9月
リーマン・ショックにより、
日本の経済は円高によって
皆、凄く辛い思いをしたんですよね。
それは、僕たちの留学生にも
影響はありました。
僕は家から仕送りは
もらってなかったんですが、
家からお金をもらってた周りの友達の顔はいつもより暗くて。。
そして、飲食系にも影響はありました。 新大久保はあの当時はまだ、
今みたいにそんなに韓国が流行ってたわけではなかったんで,お客さんの数が目に見えるほど少なくなりました。
そして、僕が働いてた店も
経営が厳しくなって バイトをやとうところではなくなってしまい、
結局、厨房で唯一僕だけがバイトだったので、やめることになりました。
そして、また学費を払わなきゃいけない時期がきて、
僕はどうすればいいんだろう…と
韓国に帰らなきゃいけないのかな…と それとも親に助けてもらおうかな…と 色々悩んでました。
その中で、ある新しくオープンする
韓国の食堂で短期のバイトをすることがきっかけで僕はその店のホールで働くことになりました。
でも、その店でも上手くいかず、
もともと経験がある人をやとうつもりだったということでまた店をやめなきゃいけなかったんです。
そして、
歌舞伎町にある焼き鳥やさんで
働くことになりました。
初めての日本の店で従業員も皆
日本人で中々大変でしたが、
なんとか皆が親切で頑張れました。
でも、一ヶ月ぶりに。。
店自体がつぶれてしまいました。。
その後は、本当に。。本当に
どうすればいいか。。
全然わからなくて、
なんか、辛すぎて。。
日本語もそんなに
上手ではなかったし、
だからって、日本での仕事経験は厨房だけだったし。。
しかもどの店も赤字で。。
誰か、やとうとしたら、
経験者だったり、
日本語の1級を持ってたりして
僕が働けるところは
ありませんでした。
それから、本当に家賃を払うお金もなくて どうしようもなくて、求人で見つけたボーイズバーの面接を受けて
僕は初めて、夜の仕事を始めました。
今まで生きてきて、自分の中では、
こんな仕事やりたくないとか。。
ありえないとか。。思ってたけど、
生活して行くためには、どうしようもありませんでした。
そうやって、僕は夜の道に入って
朝と夜が逆になって生活しました。
その時が僕は日本の生活で一番辛かったんじゃないかな。。と
思うんです。
お客さんに凄く馬鹿にされたこともありましたし、グラスを投げられたこともありましたし、先輩からいじめられたりもしたし、それに騙しやに会って、お金を取られたこともありました。。
でも、その中で僕が夜の仕事をしながら 夜の仕事をやってる人の苦労って言うか。。 辛さというか。。なんかそういうのが分かってきて、 働く前に自分が持っていた偏見とかまったくなくなりました。
そして、僕は夜の世界で今まで知らなかったことを 沢山、学ぶことができましたし、何も分からない自分が凄くもどかしかったです。
本当に。。僕は
幼かったです。。
そこで僕は、人生を見ました。
現実を見て、冷たい世の中を見て
そして、弱い人間を見ました。
それは僕でもあったし、
一緒に働いてた人や、お客さん
皆、弱い人間でした。
そして、皆
必死で生きてました。
僕は、生きてても
必死で生きてたことは
なかったと思いますが、
あの時の自分は本当に必死でした。。
でも、夜の仕事も3ヶ月くらいでやめてしまいました。 原因は、いつも僕のことをいじめてた先輩とケンカしてしまって。。
やめた後はまた仕事を探さなきゃいけなかったんです。。
それで、一週間の間
10ヶ所くらい面接したんですね。。
でも、全部落ちてしまって。。
その時だったかな。。
僕は、思いました。
もうダメだ。。
もうすぐ学校も卒業だし。。
このままじゃ来年の学費ところか
生活費も稼げない。。
一旦、韓国に帰ろう。。と
でも、何の計画もなく
韓国に帰ってしまうのは
親に心配をかけるだけだと
思ったんで、
日本のワーキングホリデーの
ビザを申請することを決めました。
でも、誰でもビザがもらえることでは
なかったので、かなりギャンブルって感じでしたが、
僕は日本が好きだったし、
このまま、日本と離れると
なんか負けた気がして。。
もう一回日本に来て、
やりなおしたかったんです。
それで、ダメもとで韓国に帰って
ビザを申請しました。
でも、落ちる可能性のほうが
高かったから
僕は、もしダメになったら
オーストラリアに行くつもりで
ビザの合格発表が出るまで
英語を勉強しに、
フィリピンに行くことにしました。
そして、もし1ヵ月後
合格したら、日本に行くし
もしダメになったら
オーストラリアに行くつもりで
僕はまた再び
旅を出ることにしました。
フィリピンに行く飛行機の中で
椅子に付いてるヘッドホンをつけて
日本の音楽チャンネルに変えた時、
GReeeeNの「遥か」が聞こえて来ました。
そして、僕は思いました。
これはきっと神様からの応援の歌なんだろうな。。と
いつもより、遥かの歌詞が
僕の頭を打って、心に響いて
泣きそうになったような気がします。
そして、また
僕は再び
空を飛びました。
To be continued..