第24回 塗仏の宴 1/6その2 | ちょい悪爺LEONのブログ

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大阪フィルハーモニー交響楽団のファンで、その演奏会を中心に投稿します。写真撮影は公共交通機関を利用して行ける所を中心に復活しましたが、写真はインスタにpostしています。
同時に当ブログにリンクを貼っていますので、そちらも見ていただければ嬉しいです。

2009/03/22(日)
LEONです。

前にも書きましたが、今京極夏彦京極堂シリーズの2巡目を読んでいます。
順番から言うと絡新婦の理なのですが、文庫本でも通勤時に持参して読む
のはかなりしんどいなあというぐらい分厚く重いので、家で読んでいます。
通勤時には分冊文庫本塗仏の宴全6冊を読んでいます。
第1冊目の宴の支度(上)を読み終わりました。

222頁に狂骨の夢に出てきた朱美が登場します。
今は沼津に住んでいるという設定です。
その沼津にある千本松原を引き合いに出し、個人の妄念について思うくだりが
あります。

引用開始。
尤もこの場所は元元松林だったのだとも聞く。
その昔---と云ってもどのくらい昔なのか朱美は知らないし、興味もないのだが--
武田勝頼と云う武将がすっかり伐り倒してしまったのだと云う。
迷惑な話である。
戦のためだと云うことだが、大義名分は如何あれ所詮は個人の妄念である。
武将がどれ程偉いか知らないが、そうした妄念が時を隔てて後の世にまで及ぶ
と云うのは、どうも朱美の好むところではない。
時は過ぎて行くものだ
だから人も潔く去るべきだと、朱美は思う。死して後にまで何か残そうなどと思う
のは欲張りだ。
---強欲の極みってモノさ。
引用終り。

この松林を元通りにしたのは長円と云う僧だと云うことであるのだが、朱美は
こうも思う。

引用開始。
人ひとりが林を創れるとは思わない。ならば無為である。だが長円は諦めず、
念仏を唱えてはただ植え、ひたすらに植えたのだ。常人に出来ることではない。
結果今の美林はある。
住民は感謝し、寺まで建てた。
立派なことだと思う。しかし朱美には---これも妄念のひとつの形だとしか思え
ない。
中略
武田勝頼の妄執を打ち払ったのは、僧長円の妄執だった訳だ。
---いずれ執念深いことサ。
引用終り。

この物語はそもそも伊豆の村が村ごと消えてしまうというところから始まります。
その村に駐在していた巡査だった男が、数年後に訪問すると、それらしい村は
あるのだが住民が全く別人であると言う事件に巻き込まれるのです。
物語の展開を理解するヒントとなる会話が268ページに出てきます。

引用開始。
---何かが欠けているんです。
欠けているのは何だ。
過去か。
人は善く、過去からは逃れられぬと謂う。
過去なんて夢と同じだと朱美は思う。過去をまるで足枷(あしかせ)の如く云う
癖に、人はその過去が消えてなくなると途端に不安になるらしい。
それが朱美には解らない。
過去は消せぬし変えられぬ---と世の人人は謂うけれど、朱美はそんなことは
ないと思う。朱美にとって過去は事実ではない。過去とは記憶のことである。
だから、消せるし、変えられる。つまらない過去など、だから忘れてしまった方が
潔いのだと朱美はいつも思っている。変更が利くのなら拘泥(こだわ)ることなど
あるまいとも思う。なくして困るものでもない。昨日などなくても今日があれば
それで良い
つまり過去とは執着心の別名である。

中略

しかし村上には立派な過去があるのだ。誰よりも波瀾万丈な過去を、村上は
確乎(しっか)り記憶している。それが嘘でないことは誰よりも村上が承知して
いる。
欠けている訳ではない。

中略

俄(にわか)に湧き上がったこの、拭い去れない不安は何だ。
そもそも朱美は、どこでどうやって、この薬売りと知り合ったのだろう。ずっと
昔から識っている気でいるけれど、それではいったいいつから識っているのだ。
必ず、馴初めはある筈なのだ。それは。
---憶えていない
引用終り。

という感じで、どうやら過去・記憶が重要なキーワードになってくるような展開です。