200902/22(日)
LEONです。
LEONです。
京極夏彦の鉄鼠の檻(てっそのおり)を読んでいます。二度目です。
分冊文庫本で4冊も有る長編です。
分冊文庫本で4冊も有る長編です。

人里離れた山奥にひとりの迷子の少女がいて、目撃者がいうにはなんと
いつも振袖を着ているようだ。しかも数え唄のような唄を唄っているという。
地元のひとはなんと15年ほど前にも同じ光景を見たとの言い伝えもある。
あれは歳をとらない女の迷子で、とうてい人とは思えない。
いつも振袖を着ているようだ。しかも数え唄のような唄を唄っているという。
地元のひとはなんと15年ほど前にも同じ光景を見たとの言い伝えもある。
あれは歳をとらない女の迷子で、とうてい人とは思えない。
この事について関口から報告を聞いた京極堂が怪異について説明をします。
分冊文庫版 1 219ページ
同一の個体であるという仮定を裏付ける証拠は次の4つの要素。
1)あまり知られていないと思われる同様の唄を唄う。
2)大体の服装が同じである。
3)見た目の年齢も同じくらいだ。
4)凡そ(およそ)同じ場所に出没する。
この4つの要素自体はあり得ないことじゃない。
10何年間という時間的な要素が加わって、変な迷子は成長しない迷子-----
妖怪化してしまった。
1)あまり知られていないと思われる同様の唄を唄う。
2)大体の服装が同じである。
3)見た目の年齢も同じくらいだ。
4)凡そ(およそ)同じ場所に出没する。
この4つの要素自体はあり得ないことじゃない。
10何年間という時間的な要素が加わって、変な迷子は成長しない迷子-----
妖怪化してしまった。
この世に科学で解明できないものなどない。
ただ、現状判らないものは判らないままに棚上げておくしかない。
理論的に正しくたって推論は推論で結論ではないのだから、据わりが悪いなら
一旦、科学を捨てるしかない。
欠落情報が補えないような場合の一番据わりの良い理解の方法は妖怪変化と
考えることだ。
ただ、現状判らないものは判らないままに棚上げておくしかない。
理論的に正しくたって推論は推論で結論ではないのだから、据わりが悪いなら
一旦、科学を捨てるしかない。
欠落情報が補えないような場合の一番据わりの良い理解の方法は妖怪変化と
考えることだ。
怪異というものは、そもそも理解不能のものを理解するための説明として発生。
云ってみれば科学と同じ役割をもったもの。
その怪異を科学的に考察すると云うのはナンセンス。説明機能自体を別の説明
機能を用いて説明するなんて、愚かで野暮だ。科学と怪異は本来補いあうって
ことはあっても反発するものではない。
云ってみれば科学と同じ役割をもったもの。
その怪異を科学的に考察すると云うのはナンセンス。説明機能自体を別の説明
機能を用いて説明するなんて、愚かで野暮だ。科学と怪異は本来補いあうって
ことはあっても反発するものではない。
明快な説明です。
これを踏まえて事件が起きた禅寺に乗り込んだ面々の会話を引用します。
分冊文庫版 1 397ページ
同じように考え込んでいた敦子が云った。
『何か---変です。ここ』
変---。
それが一番似つかわしい表現である。
この寺に、否、今回の事件には不思議なことなど何ひとつない。物理的に
不可能なことなど起こっていないし、人知を超えた不可解な謎など何もない。
ただ、どうしても、どこかぎすぎすしている。
何か足りないのだ。どこかズレている。
不思議なことが何もないから据わりが悪いのだ。
つまり---。
妖怪変化の所為にできないのである。
それでいて科学的思考を以って理解することも適わない。
『何か---変です。ここ』
変---。
それが一番似つかわしい表現である。
この寺に、否、今回の事件には不思議なことなど何ひとつない。物理的に
不可能なことなど起こっていないし、人知を超えた不可解な謎など何もない。
ただ、どうしても、どこかぎすぎすしている。
何か足りないのだ。どこかズレている。
不思議なことが何もないから据わりが悪いのだ。
つまり---。
妖怪変化の所為にできないのである。
それでいて科学的思考を以って理解することも適わない。
引用終り。
このあたりから一気に物語りに引きずり込まれます。