2009/02/08(日)
LEONです。
LEONです。
京極夏彦の狂骨の夢読み終わりました。2度目です。



砂浜が見えた。
海は紺碧(あお)かった。
『夢だったようだ』
関口が云う。同感である。何もかも、夢のようだ。
千五百年の夢。五百年の夢。前世の夢に現世の夢。
骨を巡るたくさんの夢ばかりが繫がって、狂想曲を奏でていたようだ。
『狂骨の---夢だな』
海は紺碧(あお)かった。
『夢だったようだ』
関口が云う。同感である。何もかも、夢のようだ。
千五百年の夢。五百年の夢。前世の夢に現世の夢。
骨を巡るたくさんの夢ばかりが繫がって、狂想曲を奏でていたようだ。
『狂骨の---夢だな』
これは事件解決した後の最後の場面を引用しました。
千五百年の夢とは---神話の世界の国盗り物語---敗者の復権を巡る夢であり、
五百年の夢とは---南北朝で敗れた後南朝の復権を巡る夢のことであります。
千五百年の夢とは---神話の世界の国盗り物語---敗者の復権を巡る夢であり、
五百年の夢とは---南北朝で敗れた後南朝の復権を巡る夢のことであります。
またこの物語の主人公とも言える朱美という女が見る骨に関わる夢。
教会に居候する降旗が見る骨に関わる夢。
これらの夢の分析に出てくるフロイトやユングの話。この分野に全く明るくない
LEON、今回は2度目の読書というのに難解でかなり時間がかかりました。
教会に居候する降旗が見る骨に関わる夢。
これらの夢の分析に出てくるフロイトやユングの話。この分野に全く明るくない
LEON、今回は2度目の読書というのに難解でかなり時間がかかりました。
ちなみに五百年の夢に深くかかわる宗教として真言立川流というのがあります。
これについてはWikipediaを引用します。
長くなりますので興味のない方はパスしてください。
長くなりますので興味のない方はパスしてください。
Wikipediaより引用します。
立川流(たちかわりゅう)とは、鎌倉時代に仁寛によって開かれ、南北朝時代に文観によって大成されたとされる密教の一派である。真言立川流(しんごんたちかわりゅう)ともいう。性交は不邪淫戒で誡められているが、密教では瑜伽タントラの理趣経や多くの無上瑜伽タントラによって肯定されており、性交を通じて即身成仏に至ろうとする教義解釈がある。ただし、日本には瑜伽タントラまでは多く伝わっている
が、具体的に性交を論じた無上瑜伽タントラは部分的にしか伝わっていないため、立川流を除く多くの密教では性交には否定的である。特に髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂といって1000人の髑髏の上部を集めたもの、法界髏という儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。こうして選ばれた髑髏の表面に性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、さらに髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。行の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。こうして約7年間もの歳月を費やして作られた髑髏本尊はその位階に応じて3種類の験力を現すという。下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え上位のものでは言葉を発して三千世界の全ての真理を語るという。しかし、この淫靡な儀式の奥には別の真実が隠れている。理趣経は本来男性と女性の陰陽があって初めて物事が成ると説いている。この儀式に7年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が悟りを得ることがその目的だからでありそうなればもはや髑髏本尊など必要なくなってしまうのである。立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、大日如来と一体になることである。この点において、「女性は穢れた存在であり、仏にはなれない」と説いていた既存の宗派と異なる。なお、立川流の教義自体は、陰陽の二道により真言密教の教理を発展させたもので、男女交合の境地を即身成仏の境地と見なし、男女交合の姿を曼荼羅として図現したものであるが、髑髏を本尊とするなどの儀式に関しては、あくまでも俗説であって、立川流の秘儀や作法などが述べられた文献は殆ど焚書で無くなっており、立川流の件で現存する文献はすべて弾圧した側のものであるから、それが真実かどうかはわからないとされている。男女交合の境地、すなわちオルガスムスが即身成仏の境地であるとされるに至ったのにはいくつかの理由がある。密教では、人間はそもそも汚れたものではないという、自性清浄(本覚思想)という考えがあり、理趣経にも「妙適清浄句是菩薩位(びょうてきせいせいくしぼさい)」、「欲箭清浄句是菩薩位(よくせんせいせいくしぼさい)」「適悦清浄句是菩薩位(てきえいせいせいくしぼさい)」などとあり、そこに性行為を含め人間の営みはすべて本来は清浄なものであると十七清浄句が説かれていることに起因すると考えられている。また立川流が東密(真言密教)の流れを汲む邪宗とされるのに対し、台密(天台宗の密教)でも男女の性交を以って成仏とする玄旨帰命壇という一派があったことから、この二つはよく対比して論じられる事が多い。
が、具体的に性交を論じた無上瑜伽タントラは部分的にしか伝わっていないため、立川流を除く多くの密教では性交には否定的である。特に髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂といって1000人の髑髏の上部を集めたもの、法界髏という儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。こうして選ばれた髑髏の表面に性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、さらに髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。行の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。こうして約7年間もの歳月を費やして作られた髑髏本尊はその位階に応じて3種類の験力を現すという。下位ではあらゆる望みをかなえ、中位では夢でお告げを与え上位のものでは言葉を発して三千世界の全ての真理を語るという。しかし、この淫靡な儀式の奥には別の真実が隠れている。理趣経は本来男性と女性の陰陽があって初めて物事が成ると説いている。この儀式に7年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が悟りを得ることがその目的だからでありそうなればもはや髑髏本尊など必要なくなってしまうのである。立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、大日如来と一体になることである。この点において、「女性は穢れた存在であり、仏にはなれない」と説いていた既存の宗派と異なる。なお、立川流の教義自体は、陰陽の二道により真言密教の教理を発展させたもので、男女交合の境地を即身成仏の境地と見なし、男女交合の姿を曼荼羅として図現したものであるが、髑髏を本尊とするなどの儀式に関しては、あくまでも俗説であって、立川流の秘儀や作法などが述べられた文献は殆ど焚書で無くなっており、立川流の件で現存する文献はすべて弾圧した側のものであるから、それが真実かどうかはわからないとされている。男女交合の境地、すなわちオルガスムスが即身成仏の境地であるとされるに至ったのにはいくつかの理由がある。密教では、人間はそもそも汚れたものではないという、自性清浄(本覚思想)という考えがあり、理趣経にも「妙適清浄句是菩薩位(びょうてきせいせいくしぼさい)」、「欲箭清浄句是菩薩位(よくせんせいせいくしぼさい)」「適悦清浄句是菩薩位(てきえいせいせいくしぼさい)」などとあり、そこに性行為を含め人間の営みはすべて本来は清浄なものであると十七清浄句が説かれていることに起因すると考えられている。また立川流が東密(真言密教)の流れを汲む邪宗とされるのに対し、台密(天台宗の密教)でも男女の性交を以って成仏とする玄旨帰命壇という一派があったことから、この二つはよく対比して論じられる事が多い。
引用終り