第1回 『姑獲鳥(うぶめ)の夏』 | ちょい悪爺LEONのブログ

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2008/10/23(木)
LEONです。


京極夏彦の小説『百鬼夜行・陰』を読んでいます。

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10作の短編集なのですが、ただの短編集ではなく、同氏の『京極堂シリーズ』
『外伝』の趣を持つ作品集です。すなわち『京極堂サイドストーリーズ』です。

『第弐夜 文車妖妃』は【京極堂シリーズ第1弾】である『姑獲鳥(うぶめ)の夏』
サイドストーリーです。
ということもあり並行して『姑獲鳥(うぶめ)の夏』皮切りに京極堂シリーズニ巡目を
読み始めました。

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この著者の小説はかなりの長編なので、ニ巡目で【ああ、なるほど】って思う
ところが多々あります。一回では読みきれないということです。

読まれた方は一様に、作者京極夏彦氏の博学ぶりに驚いてしまいます。
推理小説としての構成にも面白さを感じますが、なにより主人公京極堂こと
中禅寺秋彦などの会話を通じて表現される、京極夏彦氏の種々の知識の
凄さに関心しきりです。

小説【陰摩羅鬼の瑕】の解説を担当した木田元氏は、見事に京極氏の
小説をペダントリーミステリーと称しています。

ちなみにペダントリー【pedantry】とはフランス語のペダンティスム【pdantisme】で
学問や知識をひけらかすことで、日本語では衒学(げんがく)なという意味です。



関口が京極堂に問う
『20箇月もの間子供を身籠っていることが出来ると思うかい?』
しばしのやりとりの後、
京極堂が曰く、
『この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君』

---心と脳と意識---
は別々でその他にまだ意識が別にあるのかい?』
『世界は二つに分けられる』
『何だって?』
『つまり人間の内に開かれた世界と、この外の世界だ。』
中略
『生きている限り、目や耳、手や足、その他身体中から外の情報は
滅多矢鱈に入ってくる。これを交通整理するのが脳の役割だ。』
中略
『この脳と心の交易の場がつまり意識だ。内なる世界の心は脳と
取引して初めて意識という外の世界に通じる形になる。』

---言葉の力で記憶が一人歩き---

京極堂曰く
『言葉は意識を覚醒させるに留まらず、外に出て行って共通の認識
という化け物を造り出した。』
受けて関口、
『例えば僕が君のことを他人に伝えるとき、【京極堂の主人】という
言葉がなかったら、そりゃあ多くの言葉を費やさなければいけないが、
君のことを一寸でも知っている者に説明するなら【京極堂】で済む。
中略
【京極堂】という共通認識があるから、当然話は通じるし、お互いの
頭の中までは解らないから同じだと判断して安心できる訳だ。』

---生き物---

『だが、人間は違ってしまった。種を保存することが唯一無二の目的
でなくなってしまったんだ・・・』
『生物は子供を産むために生きている訳だな。そしてその子供も子供を
産むために産まれて来る訳だ。しかしそれじゃあ種を保存すること自体に
意味があり、生きていること自体には意味がないことになる。生き物
とはいったい何なんだ?』
『何でもないんだ。意味なんかありはしない。そういうものなんだよ。
いや、そういうものだったのだよ』


とまあこんな感じで関口と京極堂とのやり取りでもって、京極夏彦の
知識が迸ってでてくるのです。

さて、些細な表現のなかでなるほどと思ったくだりがあります。

『普通の神社で拍手を四度も打ったら馬鹿だと思われるが、出雲大社と
宇佐神宮では四拍手が当たり前だ。』と・・・。
LEONが時々参拝する京都は八瀬の九頭竜大社もそういえば四拍手です。

さて、映画では堤真一が京極堂に扮していました。
陰陽師としての京極堂のいでたちを表現している部分があります。

『ふん、山から鬼が下りて来たぜ』
闇の黒地に星型が浮んだ。晴明桔梗だ。あの提灯だ。雨に煙る眩暈坂に。
異様な風体の男が浮き上がる。番傘。墨で染めたような真っ黒い着流し
薄手の黒い羽織には矢張り晴明桔梗が染め抜いてある。手には手甲
黒足袋黒下駄。鼻緒だけが赤い。
京極堂だ。