第30回 弥勒如来vs弥勒菩薩 | ちょい悪爺LEONのブログ

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大阪フィルハーモニー交響楽団のファンで、その演奏会を中心に投稿します。写真撮影は公共交通機関を利用して行ける所を中心に復活しましたが、写真はインスタにpostしています。
同時に当ブログにリンクを貼っていますので、そちらも見ていただければ嬉しいです。

2008/09/16(火)
LEONです。

昨日奈良の西の京に行ってきました。
勝間田池越の薬師寺の撮影が目的でした。

薬師寺は何度か行った事があるので、撮影のあとはすぐ近くの唐招提寺
寄ってみました。

公式HP引用すると

唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、
新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字
3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、
講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、
完成したといわれます。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍と
なっています。




ということでありますが、
鑑真和上は、5回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなりながら、
6度目にしてようやく来日をはたしたわけですが、その目的は何だったんでしょう?

小室直樹先生の【日本人のための宗教原論】によると
その当時、日本に急速に広まった仏教が、残念なことに本質である戒・律
骨抜きになっているとの情報をもとに、真の仏教を伝えなおしたいという
強い想いがあったと分析しています。





さて、昨日、残念だったのは金堂平成の大修理で見れなかったことです。
来年(2009年)11月3~5日に落慶大法会があるとの事で、あと1年強は
見ることができません。

で、昨日は講堂をしっかり見せてもらいました。
講堂の本尊は弥勒如来です。一見すると東大寺の大仏のようで、すなわち盧舎那仏
のようなお顔をされているのですが、鎌倉時代に造られた記録により弥勒如来であると
判明したとのことです。

ところで、弥勒様といえばよく聞くのは弥勒菩薩だと思いますが、ここのは
弥勒如来なんです。

写真は公式HPからお借りしました。勝手に・・・。撮影禁止なので・・・。
イメージ 1



では菩薩如来の違いはどうなんでしょうか?
如来はそもそもお釈迦さまのことをいうのでありますが、時代とともに
釈迦同様、悟りを開いた者のことを言うようになったようです。
菩薩は悟りを開くべく修行中の者を言います。
観音菩薩などがありますが、如来に一番近く将来に如来を約束された菩薩が
弥勒菩薩であるらしいです。
一番近いと言っても、釈迦が没して後、56億7000万年の修行が
必要とされるようです。
でも、将来如来を約束されていると言う意味で、弥勒菩薩の未来の姿(未来仏)
として弥勒如来が造られたものと思われます。

それにしても気が遠くなる年数です。


LEONにとっては、彼女と会えない(ある意味、たったの)一週間でさえ、
大変な試練なんです。