2008/07/10(木)
LEONです。
LEONです。
大好きな指揮者について
小澤征爾


満洲国奉天市(中国瀋陽市)生まれ。小学生のときに満州からの引き揚げ。
成城学園中学校卒業後、齋藤秀雄に指揮を学ぶ。小澤と齋藤は遠縁にあたる。
秋山和慶、山本直純らと共に齋藤の下で厳しい指導を受ける。
その後、齋藤が教授を務める桐朋学園大学短期大学入学し、卒業。
短大卒業後、スクーターとともに貨物船で単身渡仏。
1959年パリ滞在中に第9回ブザンソン国際指揮者コンクール第1位。
1959年カラヤン指揮者コンクールにて第1位。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。
1960年アメリカのボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭にてクーセヴィツキー賞を受賞。
指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。
1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。
指揮者のレナード・バーンスタインに師事。同年ニューヨークフィルの来日公演にも同行。
カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。
1961年にNHK交響楽団(N響)の指揮者に招かれ指揮活動を開始するが、
N響は若い小澤の指揮活動に反発を強め、演奏会をボイコットするなどの強行手段に出た。
小澤はたった一人で指揮台に立つという苦い経験をさせられ、指揮者を辞任。
日本では音楽活動をしないと決め、その後渡欧。
1964年シカゴ交響楽団によるラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退。
急遽、ニューヨークにいた小澤が招聘され、音楽監督として音楽祭を成功に収めた。
1964年からはトロント交響楽団の指揮者に就任、1968年まで務める。
成城学園中学校卒業後、齋藤秀雄に指揮を学ぶ。小澤と齋藤は遠縁にあたる。
秋山和慶、山本直純らと共に齋藤の下で厳しい指導を受ける。
その後、齋藤が教授を務める桐朋学園大学短期大学入学し、卒業。
短大卒業後、スクーターとともに貨物船で単身渡仏。
1959年パリ滞在中に第9回ブザンソン国際指揮者コンクール第1位。
1959年カラヤン指揮者コンクールにて第1位。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。
1960年アメリカのボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭にてクーセヴィツキー賞を受賞。
指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。
1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。
指揮者のレナード・バーンスタインに師事。同年ニューヨークフィルの来日公演にも同行。
カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。
1961年にNHK交響楽団(N響)の指揮者に招かれ指揮活動を開始するが、
N響は若い小澤の指揮活動に反発を強め、演奏会をボイコットするなどの強行手段に出た。
小澤はたった一人で指揮台に立つという苦い経験をさせられ、指揮者を辞任。
日本では音楽活動をしないと決め、その後渡欧。
1964年シカゴ交響楽団によるラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退。
急遽、ニューヨークにいた小澤が招聘され、音楽監督として音楽祭を成功に収めた。
1964年からはトロント交響楽団の指揮者に就任、1968年まで務める。
たしかバルトークの管弦楽のための協奏曲と武満徹のノベンバーステップス
だったと記憶している。すごい衝撃を受けた演奏であった。
このときから小澤ファンとなった。
1966年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を初指揮。
1970年にはタングルウッド音楽祭の音楽監督に就任。
同年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任し、1976年まで務めた。
1970年にはタングルウッド音楽祭の音楽監督に就任。
同年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任し、1976年まで務めた。
この年、大阪では万国博一色。
LEONは開会式で岩城宏之指揮NHK交響楽団の後ろで合唱団の一員として歌ってました。
曲は忘れてしまったけど・・・。
LEONは開会式で岩城宏之指揮NHK交響楽団の後ろで合唱団の一員として歌ってました。
曲は忘れてしまったけど・・・。
1972年には、フジサンケイグループによる突然の日本フィルハーモニー交響楽団の解散後、
楽員による自主運営のオーケストラとして新日本フィルハーモニー交響楽団を創立。
小澤はその後、1991年に名誉芸術監督に就任し、1999年9月より桂冠名誉指揮者となっている。
1973年、38歳でアメリカ5大オーケストラの一つであるボストン交響楽団の音楽監督に就任。
ボストンでの活動が進むにつれウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
をはじめとするヨーロッパのオーケストラへの出演も多くなる。
ボストン交響楽団の音楽監督は2002年まで務めたが、一人の指揮者が30年近くにわたり
同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことであった。
1984年9月、恩師である故・齋藤秀雄の没後10年を偲んで、小澤と秋山和慶の呼びかけにより、
世界中から齋藤の門下生100名以上が集まり、齋藤秀雄メモリアルコンサートを
東京と大阪にて開催。このコンサートが後のサイトウ・キネン・オーケストラとなる。
1987年に第1回ヨーロッパ楽旅を行い、ウィーン、ベルリン、ロンドン、パリ、
フランクフルトにて成功をおさめる。
1992年からはサイトウ・キネン・オーケストラの音楽監督として活動を開始。
1998年に長野オリンピック音楽監督を務め。長野オリンピック開会式では、
小澤指揮によるベートーベン交響曲第9番を演奏。開会式会場と世界5大陸の都市
(北京、ニューヨーク、シドニー、ベルリン、ケープタウン)を衛星中継で結び、
歓喜の歌を世界同時合唱で結ぶ。
楽員による自主運営のオーケストラとして新日本フィルハーモニー交響楽団を創立。
小澤はその後、1991年に名誉芸術監督に就任し、1999年9月より桂冠名誉指揮者となっている。
1973年、38歳でアメリカ5大オーケストラの一つであるボストン交響楽団の音楽監督に就任。
ボストンでの活動が進むにつれウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
をはじめとするヨーロッパのオーケストラへの出演も多くなる。
ボストン交響楽団の音楽監督は2002年まで務めたが、一人の指揮者が30年近くにわたり
同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことであった。
1984年9月、恩師である故・齋藤秀雄の没後10年を偲んで、小澤と秋山和慶の呼びかけにより、
世界中から齋藤の門下生100名以上が集まり、齋藤秀雄メモリアルコンサートを
東京と大阪にて開催。このコンサートが後のサイトウ・キネン・オーケストラとなる。
1987年に第1回ヨーロッパ楽旅を行い、ウィーン、ベルリン、ロンドン、パリ、
フランクフルトにて成功をおさめる。
1992年からはサイトウ・キネン・オーケストラの音楽監督として活動を開始。
1998年に長野オリンピック音楽監督を務め。長野オリンピック開会式では、
小澤指揮によるベートーベン交響曲第9番を演奏。開会式会場と世界5大陸の都市
(北京、ニューヨーク、シドニー、ベルリン、ケープタウン)を衛星中継で結び、
歓喜の歌を世界同時合唱で結ぶ。
LEONは2000年前後の10年間、松本市で開催されるサイトウキネンフェスティバルで行われる
サイトウキネンオーケストラをかかさず聴きにいきました。
ブルックナーの7番を聴き感動。
それ以来ブルックナーの大ファンになった。
サイトウキネンオーケストラをかかさず聴きにいきました。
ブルックナーの7番を聴き感動。
それ以来ブルックナーの大ファンになった。
2002年1月、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。
このコンサートは世界中に同時生中継された。
また2002年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めている。
今年はウィーン国立歌劇場が来日します。東京だけってのが残念。
このコンサートは世界中に同時生中継された。
また2002年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めている。
今年はウィーン国立歌劇場が来日します。東京だけってのが残念。
さて、LEONは最近の指揮者で、興味深いひとが二人いる。
その一人は大植英次だ。
その一人は大植英次だ。
関西人には馴染み深い大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督である。
大植英次


広島市佐伯区で生まれ、4歳よりピアノをはじめる。
ティンパニ、トロンボーン、フルート、ホルンなど多くの楽器を経験。
桐朋学園で斎藤秀雄に師事、1978年に小澤征爾の招きで渡米。タングルウッド音楽祭に参加。
幼少の頃からの憧れであったバーンスタインと出会い、各地の演奏会で助手をつとめた。
1990年の第1回PMF音楽祭では病で帰国したバーンスタインの代演をしている。
なお、バーンスタイン没後、遺族からバーンスタインが最後のコンサートで使った指揮棒と
ジャケットを形見分けされている。
1986年にバッファロー・フィル準指揮者に就任、
1990年から1992年までPMFオーケストラのレジデント・コンダクターを経験する。
1991年から1995年までエリーフィルハーモニー音楽監督、
1995年から2002年までミネソタ管弦楽団の第9代音楽監督をつとめ、
1998年からはハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者
(2009年に退きEhrendirigent(名誉指揮者)就任の予定)。
それぞれのオーケストラの力を飛躍的に伸ばしたと定評がある。
2000年からはハノーファー音楽大学終身正教授もつとめ、指揮科で学生の指導にあたっている。
1997年から2003年まで、米国ワイオミング州のグランド・ティートン音楽祭で音楽監督もつとめた。
2003年4月から故朝比奈隆の後任として大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任。
2005年7月には東洋人指揮者として初めてワーグナー作品の上演で知られる
バイロイト音楽祭の本公演に出演、「トリスタンとイゾルデ」を指揮し、
100年を超える同音楽祭の歴史に足跡を残した。
スペインのカタルーニャ州立バルセロナ交響楽団常任指揮者
兼アーティスティック・アドヴァイザーに2006/2007年シーズンから就任。
他にも全米の主要オーケストラをはじめ、世界各地で客演を行っている。
日本のオーケストラでは、過去にNHK交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、
読売日本交響楽団、広島交響楽団を指揮したことはあるが、
現在は大阪フィルハーモニー交響楽団に限っている。
ティンパニ、トロンボーン、フルート、ホルンなど多くの楽器を経験。
桐朋学園で斎藤秀雄に師事、1978年に小澤征爾の招きで渡米。タングルウッド音楽祭に参加。
幼少の頃からの憧れであったバーンスタインと出会い、各地の演奏会で助手をつとめた。
1990年の第1回PMF音楽祭では病で帰国したバーンスタインの代演をしている。
なお、バーンスタイン没後、遺族からバーンスタインが最後のコンサートで使った指揮棒と
ジャケットを形見分けされている。
1986年にバッファロー・フィル準指揮者に就任、
1990年から1992年までPMFオーケストラのレジデント・コンダクターを経験する。
1991年から1995年までエリーフィルハーモニー音楽監督、
1995年から2002年までミネソタ管弦楽団の第9代音楽監督をつとめ、
1998年からはハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者
(2009年に退きEhrendirigent(名誉指揮者)就任の予定)。
それぞれのオーケストラの力を飛躍的に伸ばしたと定評がある。
2000年からはハノーファー音楽大学終身正教授もつとめ、指揮科で学生の指導にあたっている。
1997年から2003年まで、米国ワイオミング州のグランド・ティートン音楽祭で音楽監督もつとめた。
2003年4月から故朝比奈隆の後任として大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任。
2005年7月には東洋人指揮者として初めてワーグナー作品の上演で知られる
バイロイト音楽祭の本公演に出演、「トリスタンとイゾルデ」を指揮し、
100年を超える同音楽祭の歴史に足跡を残した。
スペインのカタルーニャ州立バルセロナ交響楽団常任指揮者
兼アーティスティック・アドヴァイザーに2006/2007年シーズンから就任。
他にも全米の主要オーケストラをはじめ、世界各地で客演を行っている。
日本のオーケストラでは、過去にNHK交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、
読売日本交響楽団、広島交響楽団を指揮したことはあるが、
現在は大阪フィルハーモニー交響楽団に限っている。
LEONは昨年、ヴェルディのレクイエムを聴いた。
もともと死者のためのミサ曲とは思えない華麗な曲であるが
大植の指揮で大フィルの音が変わったと感じた。
若々しく・・・。
もともと死者のためのミサ曲とは思えない華麗な曲であるが
大植の指揮で大フィルの音が変わったと感じた。
若々しく・・・。
さて、もう一人は佐渡裕です。
生で聴いたことはありません。
小澤のドキュメンタリービデオで小澤の指導を受けている佐渡の姿を見ました。
生で聴きたい一人です。
生で聴いたことはありません。
小澤のドキュメンタリービデオで小澤の指導を受けている佐渡の姿を見ました。
生で聴きたい一人です。
佐渡裕


京都市立堀川高等学校音楽課程(現在の京都市立音楽高等学校)を経て
京都市立芸術大学音楽学部フルート科卒。
京都市立芸術大学在学中に指揮活動を開始。関西二期会などを経て
小澤征爾、レナード・バーンスタインに師事。
数多くのオーケストラ、吹奏楽団を指揮。その他「1万人の第九コンサート」や
「ヤング・ピープルズ・コンサート」など多方面で活動。
兵庫県西宮市に2005年10月22日に開館した兵庫県立芸術文化センターの建設にあたり、
2002年より(財)兵庫県芸術文化協会芸術監督(音楽)に就任(現在、同センター芸術監督)した。
ここを拠点とする新設の楽団「兵庫芸術文化センター管弦楽団」を通じて、
活力ある若手音楽家の育成に意気込んでいる。
2008年4月6日からテレビ朝日の『題名のない音楽会』(シリーズ)第5代目司会者を務めている。
京都市立芸術大学音楽学部フルート科卒。
京都市立芸術大学在学中に指揮活動を開始。関西二期会などを経て
小澤征爾、レナード・バーンスタインに師事。
数多くのオーケストラ、吹奏楽団を指揮。その他「1万人の第九コンサート」や
「ヤング・ピープルズ・コンサート」など多方面で活動。
兵庫県西宮市に2005年10月22日に開館した兵庫県立芸術文化センターの建設にあたり、
2002年より(財)兵庫県芸術文化協会芸術監督(音楽)に就任(現在、同センター芸術監督)した。
ここを拠点とする新設の楽団「兵庫芸術文化センター管弦楽団」を通じて、
活力ある若手音楽家の育成に意気込んでいる。
2008年4月6日からテレビ朝日の『題名のない音楽会』(シリーズ)第5代目司会者を務めている。
金聖響を忘れてはいけない。
30代若手ナンバーワン!
金聖響

