パーティーが終わった。

すっかり暗くなってしまったからと、理佐は小池を、土生は小林をそれぞれの家まで送り届けることになった。


雨はすっかり止み、生温い湿った風が吹き抜ける。

その風は雨上がり後の独特なアスファルトの匂いを巻き上げ、鼻を刺激する。

その匂いに、理佐は菅井との思い出を思い出してしまった。

雨上がりの午後、切ない顔をして、無理に笑う彼女の姿。

理佐はそれを振り払うように頭をブンブンと振った。

「理佐、大丈夫?」

隣を歩く小池が心配そうに顔を覗き込む。

「あ、ごめん、大丈夫。」

「…そっか。…今日、楽しかったね。」

小池は傘を両手で握りしめ、噛み締めるように言う。

「うん、楽しかった。」

「理佐、ほんまに良く笑うようになったよなぁ。」

「そう?まぁ…前までがちょっとヤバかったから。ほんとあの時は、ごめん。」

理佐が過去の過ちを詫びると、

「ええのに。皆そこまで気にしてないし。理佐のこと応援してるから。」

って小池は笑った。

何度謝っても足りないくらい迷惑をかけたのに、それでも応援してくれる仲間がいることが嬉しかった。
だからこそ、頑張ろうと思える。

「ありがとな。」

理佐が言うと、小池は「ううん。そんなことよりさ…。」と話を逸らす。

「理佐と土生くんはさ、菅井さんのこと好きやったん?」

屈託のない、好奇心のこもった笑顔を向ける小池。

またその話題か…と少しゲンナリしながらも、誤魔化しきれないと思った理佐は

「…好きだったよ。2人とも。」

と正直に答える。

すると小池は

「へぇ〜!やっぱりそうやったんやぁ。今は?」

と続け様に質問する。

何故、昔好きだった人の話をこんなに掘り返すのか、理佐には理解できなかったが、渋々答えた。

「…俺はずっと前に諦めたから……。もう昔の話だしな。土生のことは知らん。」

答えながら再び思い出す。

淡くて切ない思い出。

住む世界が違ったんだ。
だから、諦めるしか無かった。

「そっか…。土生くんはまだ好きやったりするんかな…。」

小池がポツリと呟く。

「…小池は土生のこと、本気で好きなの?」

ふと、疑問に思ったことを訊ねる。

「え、急やな。…うん、好きやで。」
 
「ただカッコいいなーとか、アイドル的な存在じゃなく、恋愛としての好き、なの?」

なんとなく、小池が土生を見る目が他と違うことは感じていた。
なんていうか、凄くキラキラしてて…

でも、土生をそういう風に見る女子はたくさんいるし、小池もその1人なんだと、ずっと思ってた。


「…好きやで。本気で。」

小池の瞳が理佐にまっすぐ届いて、その本気度が伝わる。

…でも土生は、誰かとちゃんと付き合う気はないと言っていたし…

その分小池は傷つくことになる。

それは友達として、辛いと思った。

「でも、急にどしたん?」

疑いの眼差しを向ける小池に、理佐は慌てて釈明する。

「…ほら、土生ってチャラいからさ、土生と付き合ってる奴の中には遊びも結構いただろ?だからその…。」

「大丈夫。土生くんを好きになった時点で、片想いの覚悟も出来てるから。」

小池は明るく、そう答えた。

その瞳の奥は、すごく辛そうだけど。

「……小池が傷つくだけだと思うよ?土生はいい奴だけど…恋愛に関しては…。」

理佐は小池のためを思って、遠回しに土生を諦めさせようとした。

理佐が一番、片想いの辛さを分かっているからこその言葉だった。

本気で好きであればあるほど、叶わないのだと分かった時の辛さは大きくなる。

でも、小池は

「良いの。私は土生くんが好き。それは揺らがへんよ。」

って言って笑った。

「…小池がそれで良いなら無理には止めないけど…。」

「大体、好きな気持ちって止めようと思っても止まらんもんやで?土生くんのことばっか考えて、胸がキューってなって、苦しくて。でも、それが止められへんねん。」

そうだった。
理佐はまた思い出し、切なくなる。

止めなきゃ止めなきゃって思えば思うほど溢れてきてしまう。

それが片想いだった、と。


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人通りの少ない住宅街を歩く2人の間には、濡れたアスファルトとスニーカーが奏でる足音だけが響いていた。


「土生くん、あのさ。」

長かった沈黙を小林が破る。

ホームパーティーの帰り道、2人っきりの空間に土生が緊張してしまったのが、長い沈黙の原因なのだけど。

土生は

「…何?」

と、至って普通を装って返答する。

「…菅井さんって……どんな人だったの?」

多分、どうやって切り出そうかずっと考えてたんだろう。

小林は緊張した面持ちで恐る恐る、様子を見ながら言葉を放つ。

それにしても、どうしてそんなこと気にしてるのか。
その理由はあえて聞かなかった。

「友香…?凄くお上品で、チャーミングな子だったな。ガチなお嬢様だから英才教育を受けてたらしいけど、結構天然でさ。でも2歳年上だったし、なんだかんだ俺らのお姉ちゃんみたいな存在だった。」

「そうなんだ…。今はアメリカだっけ…?」

「うん。もう3年くらい全く会ってないなぁ。連絡もとってないし。」

「連絡、とってないの…?」

小林は意外そうな顔で訊ねる。

「うん、とってない。」

「今の時代、海外でも繋がる方法なんていくらでもあるでしょ?」

「…あえて連絡とってない、ってのが正しいかな。友香は日本の経済を支える大企業の一人娘だから。俺たち庶民とは住む世界が違うんだよ。」

「……そっか。」

再び沈黙が2人を包む。

土生は歩きながら、菅井との思い出のつまった記憶を呼び起こす。

そして、ぽつりぽつりと小林に話し始める。



7年前

小4の時、当時小学6年だった菅井と出会った。

理佐と土生が、いつものように公園で遊んでる時だった。

「ねぇ、何で泣いてるの?」

公園の片隅にうずくまって泣いてる、名も知らぬ女の子に話しかけたのは、意外にも理佐だった。

「……。何でもない。」

女の子はそう言って、顔を膝に埋めた。

「…悲しいから泣いてるんでしょ?じゃあ、遊んで紛らわしちゃえばいいんだよ。俺たち今から冒険行くけど、一緒に行く?」

理佐はそう言って手を差し出した。

女の子は顔を上げ、理佐の手を取った。

名前は菅井友香と言った。

後から知った話では、菅井は超有名企業の社長の一人娘だったが為に、小学生ながら毎日習い事に追われていたらしい。

そんな、鳥籠の中の鳥のような生活に嫌気がさし、家出してきたんだと。

だから、理佐が何気なく言った"冒険"という言葉に惹かれてしまったらしい。


その日、3人はバスを乗り継ぎ、遠くの海まで出掛けた。

小学生にとっては大冒険だった。

その日の夜、家出した菅井を菅井家総出で探していたらしく、見つかった3人は菅井の父にこっぴどく怒られた。

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「友香はね、お嬢様なんだけど意外とヤンチャなところがあって。俺たちはすぐに仲良くなった。3人で過ごす時間は何にも代え難い、宝物のような時間だったんだ。」

土生はそう言って、昔を懐かしむように微笑んだ。

「そうだったんだ。なんか、そういうの羨ましい。私はみいちゃんに出会うまで、ずっと1人だったから。」

小林は下を向いて、そう溢した。

"1人だった"という言葉に、土生の胸はどうしようもなく締め付けられる。
でも聞き返す暇もなく、小林は間髪入れずに次の言葉を発する。

「理佐はさ、菅井さんのことまだ好きなのかな?」

「…え?」

その瞬間、ああ、もしかして小林は理佐のことが気になってるんじゃ…と直感的に勘付く。
そしてなぜか、どうしようもなく渦巻くモヤッとした感情。

「理佐は……友香のことまだ好きなんじゃないかな?」

確証は無かったけど、気づけばそう口走っていた。
そう言ってしまえば、小林が傷ついてしまうことは分かっていたのに。

案の定、目の前の小林の瞳が揺れる。

そして、知ってしまった小林の胸の内。

どうしていつも、こうなんだろう。

あの時と全く同じだ。

俺はいつだって、望む未来を手に入れられない。

母と2人で幸せに暮らす未来も。

友香と結ばれる未来も。



5年前


土生は気づけば菅井に対して恋心を抱いていた。

土生がそれを認識したのは、土生が小学6年、菅井が中学2年の時。

理佐も菅井に対して同じ感情を抱いていると知ったのは、そのすぐ後だった。

土生と理佐は常に競争するようになった。

少しでも大人に近づきたくて、ブラックコーヒーを頑張って飲んだこともあった。


でも、菅井が好きなのは理佐だった。

分かってしまうんだ。
自分が好きな人が、自分では無い、他の誰かしか見てないって。

土生は親友である理佐に嘘をついた。

「友香のこと、もう好きじゃなくなった。他に好きな人出来たんだ。」

理佐は驚いていたが、すぐに「そうか。」と受け入れた。

「そう言うことだから、これからはお互いの恋愛を頑張ろうぜ。早いところ友香に想い伝えろよ。」

そう言って土生は、菅井への想いを断ち切り、理佐の背中を押した。

でも理佐は結局、菅井へ想いを伝えることは無かった。

菅井には幼い頃から決まった婚約者が居たことを知ったからだ。


菅井の将来を案じてのことだった。


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「理佐は友香に想いを伝えようとしてたけど、友香には許嫁がいて、それを知った理佐は友香を突き放したんだよ。俺らと一緒にいて良い人じゃないって。それで友香とは疎遠になった。でも理佐は多分、友香のことまだ好きだよ。」

土生のその言葉に、小林は動揺を悟られるのを隠すように下を向いた。

「菅井さんって、きっとすごい魅力的な人なんだね。」

「そうだね。でも、ゆいぽんだって負けてないと思うけど。」

「…ふふ。気遣ってくれてありがとね。」

小林は困ったように眉毛を下げ、小さく笑った。

「もしかしてまた、チャラいな、って思った?」

「うん、思った。」

「そっかー…。」

土生はそう言って下を向く。

「結構本気なんだけどなぁ。」

と小さく呟いた声は、小林には届いてなかった。

「じゃあ、また明日ね。」

気付けば小林の家の前に着いていて、小林は胸元で小さく手を振っていた。

「ゆいぽん。俺……」

好きだ。

そう言いかけて、土生は言葉を飲み込んだ。
今はまだ、その時じゃない。

「ん?」

不思議そうにこちらを見る小林に、土生は誤魔化すように言葉を発する。

「ちゃんと向き合って頑張ってみるよ、色々と。」

「…急にどうしたの?」

「なんとなく、ね。じゃ、またね。」

そう言って土生は小林に背を向けた。


認めざる得ない、自分の気持ち。

もう、そこから目を背けるのはやめよう。

土生はそう決意して、家路を歩いた。