「なら、今は休むべきや。もうあの時と同じ思いを保乃にして欲しくない。」
電話越しでもわかる藤吉の涙声に、田村も過去を思い出す。
「夏鈴ちゃん…」
「不安なんは分かるけど、走り続けたいんやったら、今は故障と、自分自身とちゃんと向き合わんとアカンのちゃうかな。」
藤吉にそう言われ、田村は言葉を詰まらせた。
無理をしすぎて、バレーボールを、夢を諦めなければいけなかった高校時代。
そして、それを乗り越えてようやく見つけた新たな夢。
また夢を失わないためにも、現実と向き合わなきゃいけないのかな。
ここで無理をすることは、結局逃げていることと同じなのかもしれない。
藤吉と話したことで、田村の心の中で色んなことへの折り合いがつけられた気がした。
「ありがとう、夏鈴ちゃん。保乃、思い切って休んでみるわ。病院も怖いけど、ちゃんと行く。」
「うん。大丈夫……なんて軽々しくは言えへんけど、保乃のことほんまに応援してるから。保乃には、ほんまに夢叶えて欲しいねん。」
「ありがとう。夏鈴ちゃんもバレー頑張ってな。」
そう言って、田村は電話を切った。
涙はいつの間にか乾いてて、心のモヤモヤが少しだけ晴れた気がした。
もちろん、脚のことが不安なのは変わらないけど。
そうだ。帰ったらひぃちゃんに謝らなきゃな。お礼も言わなきゃ。
田村は立ち上がり、荷物を置いていた場所へ向かう。
そこにはまだ、菅井と森田が座っていた。
帰ったと思ってたので驚く。
「あ、保乃やっと戻ってきた。」
菅井が振り向いて言う。
「すみません、待ってくれてるとは思わなくて…。」
「るんちゃんから聞いたよ。保乃が感情的になるなんてよっぽどだよね。ごめんね、気付いてあげられなくて。」
「いえ…私も隠していたので…。ひぃちゃんもごめん、酷いこと言って…。」
田村がそう言うと、森田は大きく首を横に振った。
「私も保乃の気持ち考えずにズカズカと踏み込んじゃってごめんね。」
「いやいや、むしろ、ひぃちゃんに指摘されたことで決断出来た。ありがと。もう同じことは繰り返さない。菅井さん、私……」
「うん。少しメニュー調整しようか。私も同じような経験してるから、少しは役に立てると思う。一緒に乗り越えよう。」
菅井が優しく微笑む。
森田もまた、「私に協力できることがあれば何でもするから」と言ってくれて、心強かった。
そしてその後、田村は森田と共に病院に行った。
田村は待合室で、不安に押しつぶされそうになる。
1年前もそうだった。肩の状態はきっと良くないんだろうな、と思っていたから、ずっと不安で。そしたら夏鈴ちゃんがギュッと手を握ってくれたんだっけ。
その後のことは良く覚えてないけど、人生を揺るがす宣告をされて、目の前が真っ暗になって…。
怖い。またそうなってしまったらどうしよう。
田村は膝の上でギュッと拳を握る。
すると、森田の暖かい手が田村の拳に重なって、優しく包み込んでくれた。
森田の方を向くと、力強い目で「大丈夫だよ。」とでも言っているかのように、無言で頷いてくれた。
「田村さーん。」
看護師に呼ばれ、田村は立ち上がる。
2人はスッと手を離し、「行ってくるね。」と言って1人で診察室へと入っていった。
__________
診察と検査を終え、医師から結果が告げられた。
田村の右脛は疲労骨折の手前まで行っていたみたいだが、幸い大事には至らず、数週間安静にすればすぐに走れるようになるとのことだった。
帰り道、
「大事にならなくてほんとに良かった…。」と安堵の表情を浮かべる森田に、田村は改めてお礼を言う。
「ほんまに、ひぃちゃんのおかげや…ひぃちゃんが気づいて言ってくれへんかったら、多分ずっと無理してたと思う…。ありがとう。」
「いや、私は大したことしてない。保乃はいつも頑張ってたから、支えたいなって思っただけで。」
そう言って下を向き、恥ずかしそうに鼻をすする森田。
とんでもなく愛しく思えてしまった。
「え、何、めっちゃ可愛いやん。も〜、不器用やな〜。」
そう言って田村は森田の頭を撫でる。
「やめてよ、恥ずかしい!」なんて言いながら、森田は田村の手を振り解いた。
「やめへん〜」
今度は森田の頭をわしゃわしゃする田村。
「ああ!この!やりやがったな!」
森田はムッとした表情で田村に仕返しをしようと手を伸ばす。
一生懸命腕を伸ばして、少し身長差のある田村の頭をぐしゃぐしゃにした森田は、満足そうな表情だ。
「意外とそういうことにムキになるタイプなんやな。」
田村が弄ると、森田はまたムッとした表情に戻り、プイッとそっぽを向いた。
そんな森田を微笑ましく見つめる田村。
きっと、森田だって普通の等身大の女の子なんだな、と田村は思った。
最初の頃は暗くて自分本意で、走ることにしか興味が無さそうに見えたから取っ付きにくいな、と正直思ったけど、森田自身も少しずつ変わってきているし、きっと不器用で、口下手だから誤解してしまっていただけなんだ。
ほんとは仲間思いで、でもきっと誰よりも苦しんできたんだ。
……私も支えてあげなきゃな。
田村はそう思った。
それから数週間、田村はリハビリをしながら、治療に専念した。
焦る思いを抑えて、今は耐える時だ、と自分に言い聞かせながら。
欅ハウスの皆が色んなサポートをしてくれたことも、田村を勇気づけた。
そして、10月に入った頃、
「うん、少しずつ走り始めようか。ただし、無理は禁物だからね。」と、医者からのGOサインが出た。
ようやく走れる喜びを、田村はすぐに皆に報告した。
一緒に喜んでくれることが嬉しかった。
もちろん、走り始めてもすぐに本調子とは行かなくてもどかしかったけど、田村は辛抱強く耐えた。
そして、時は進んでいく。
箱根駅伝予選会。
ここで、欅学園大学10名の運命が決まる。