以前は、芝居をしている時、自己顕示欲に動かされていたと思う。


私を見て、私をほめて欲しいなど、すべて自分への評価を期待していた。




でも、不思議なことに、そんな欲求も次第になくなり、


今は、芝居を通して、人を助けたいと思うようになった。



普段たまっている不満を解消したり、固まって行きそうな心を解きほぐしたり、見ている人の何か気付きを促したい、人の心を動かしたい。


そのために、自分の感覚や感情を大切に常に意識して、体や心がさびないように気をつけている。

ヤフーニュースで


2人に1人 職場に円滑に進めず

というタイトルの記事があった。



中核は、



「政府が開いた『雇用戦略対話』で、内閣府が明らかにした試算によると、2010年春、大学や専門学校を卒業して就職した56万9,000人のうち、19万9,000人は早期離職者であるほか、卒業しても無職やアルバイトの人が14万人おり、中退した人の数を計算に入れると、およそ2人に1人が、学校から職場に円滑に進むことができていなかった。」



ということなのだろう。



本当に、以前からブログでさんざん言っているが、新卒至上主義体制は、馬鹿げているし、古い。


時代錯誤はなはだしい。


でも、日本社会では、


この記事の上述引用「学校から職場に円滑に」という部分が象徴しているように、


【学校を卒業すれば、即ち、就職】


という図式が一般人の脳内構造なのだろう。




先日、某先生とバイトの話をした時に、


「バイトなんてただの手伝いですよ。」


というニュアンスのことを言われたが、そんなことわかっている。


というよりも、その先生の脳内では、俺が一生バイトで食いつないでいくとでも思っているのだろうか。


他にも、近しい人たちからは、「まっとうに生きていない」など散々な言いよう。





やっぱり、日本では、「すぐに就職しなかった奴は、一生プー太郎で生きていくんだ」と認識されるのだろう。


なんだか、悲しいし、腹が立つ。


だから、そんな因習をぶっ壊すためにオイラは冒険しているのだ。


でも、その冒険もいったんは25までと決めている。





学生時代、就職活が始まった時、なんと愚かしい事を、学生という貴重な時間にしているのかと痛感した。


あの時「変だ」と思ったオイラの感覚はおかしくなかった。そして、即効で辞めたのも正解だった。


(まあ、今の時点では、世間的に見て俺が変だろうがw)




在学中に、就職活動をするということ自体、


「私たちは卒業できるんですよ。保障されているんです」


と学生たちが「卒業、当然でしょ」という雰囲気を醸し出しているのが頂けなかったんだろう。





大学側も「学業の支障になるため就職活動前倒し反対」と言いつつ、


学生のほぼ90%以上を卒業させるなんて、結果的に就活の肩を持っていることに気づけよ。


もっと、卒業率は低くていい。






日本人は、本当に「みんな一緒」が大好きなんだな。


就活が、日本人に特徴的な付和雷同や長いものに巻かれろ精神を形成する通過儀礼になっている。

ここ最近いろいろあるのに、動きたいし、動かしたい。


先日は、友人との電話で「まっとうな生き方をしていない」などといろいろ言われた。

公言はしないが、ちゃんとした計画もしてあるし、

大学卒業時には、今後何があってもいいように大学中にコツコツためて、ある程度の貯金は作っていた。


表面的なことでしか人を判断できず、深みのない人には、言わせとけばいいと思う。


というよりも、表面的なこと、周囲の評価を気にして、虚栄心でひたすら自分を隠そうとして、アパシーに陥っている人々が可哀そうで仕方がない。


まあ、価値観は人それぞれだが、心がプラスチックになっていき、見栄を張って日々生きていくのはつらいと思う。


そんな心を動かせる役者になりたいのだ。


昨日は、劇団発表のコントの役に撰ばれなかった。


先日のブログに書いたように、やっぱりコントは苦手だ。


現代劇をやりたい人に、能や日本舞踊をやりなさいというようなもので、


現時点での俺には、見る分にはいいが、お笑いは受け付けられない。





でも、こんなにいろいろ言われたり、マイナスなような状況に追い込まれたりしているが、


なぜか心には、エネルギーが満ち溢れている。


かつて、自己顕示欲のために芝居をしたいと思っていた自分だが、


今、人の心を動かせる芝居をしたい、そんな役者になりたいと思っているのだ。


やっと意識が高まった。


あとは、技量だけがついてくればいい(笑)


原始時代から具わっている、人間の感覚、そして、感情を日々大切に意識して、人の心へ働きかけられるよう、放出していきたい。