皆さん、こんにちは。
青森市議会議員、
そしてミツオ電設の社長を務めております、中村ミツオです。

今でこそ、議員として、また経営者として活動させていただいていますが、私のこれまでの半生は、まさに「十方塞がり」の連続でした。

いじめ、父の急死、多額の借金、そして愛する我が子との別れ……。
何度も何度も、人生というリングでマットに沈みそうになりました。

「もうダメだ」
「どうして自分だけ」


そう思っている方にこそ、私の不器用で、泥臭い再起の物語を聞いてほしいのです。

格好いい話ではありません。

弱点だらけ、失敗だらけの私が、どうやって絶望の淵で「やる気のスイッチ」を見つけたのか。

その全てを、生々しくお話しします。

 

このブログでは、市民の方からいただいたご質問に、偽りなくQ&A形式で率直にご回答します!

 

当ブログ内容はYouTubeの中村ミツオチャンネルでもお伝えしております。
是非こちらのYouTubeもチャンネル登録、ご視聴よろしくお願いいたします。

 「椅子も机もなかった」いじめられっ子が、恩師と出会って知った「光」

 

今では「ミツオさんはいつも明るくて元気だね」と言われますが、実は小学校2年生まで、私は極度の自信喪失に陥った「いじめられっ子」でした。

Q:当時はどのような学校生活を送っていたのですか?

信じられないかもしれませんが、担任の先生から机も椅子も与えられず、冷たい床の上で授業を受けていたんです。

自信なんて一ミリもありませんでした。

そんな私の世界を変えてくれたのが、代理でやってきた伊賀よしのり先生でした。
先生は教室に入った瞬間、床に座る私を見てすぐに机と椅子を用意してくれた。

お前は明るくて、リーダーの素質がある

その一言が、暗闇にいた私の人生に初めて光を灯してくれたんです。

誰か一人の出会いで人生は変わる。

私は身をもってそれを知りました。

 

 父の急死と消えた家。13歳で誓った「電気屋の社長になる」という執念

 

順調にリーダーシップを発揮し始めた中学1年生の夏、最大の試練が訪れます。

Q:お父様が急逝された際の状況を教えてください。

電気工事会社の社長をしていた親父が急死しました。
残されたのは、想像を絶する額の借金。

昨日まで可愛がってくれていた親戚たちが、手のひらを返したように「家を出て行け」と迫ってきました。

大人の汚さ、冷たさを知った13歳の私は、激しい怒りと憎しみの中で誓ったんです。

「今に見てろ。金と力を手に入れて、絶対に見返してやる」

この「憎しみ」を燃料に、私は親父の遺志を継ぎ、電気工事の道へ進むことを決めました。

今思えば、歪んだ動機だったかもしれません。

でも、それが当時の私を支える唯一の杖でした。

 

 「給料は一円もやらん!」24歳での無謀な独立と、襲いかかる「川底への転落」

 

東京での過酷な修行を終え、青森で就職した私を待っていたのは、上司との衝突でした。

Q:かなりドラマチックな退職だったと伺いましたが?

若かったんですね。
上司とやり方の違いで毎日喧嘩。
ついに耐えかねて「辞めます!」と啖呵を切りました。

すると上司から

「いいだろう。だが今月の給料もボーナスも一円も払わんぞ」

と言われ……。

貯金ゼロ、生活費ゼロ。
真っ青になって妻に相談したら、彼女はこう言ってくれたんです。

「パパ、お義父さんがつけてくれた名前『ミツオ』で会社をやりなよ。絶対うまくいくから」

そうして始まった「ミツオ電設」でしたが、現実は甘くありません。

独立してすぐ、仕事へ向かう途中に車ごと6メートルの川底へ転落。
車は大破、全てを失いました。

手元に残ったのは、ヘルメットと腰道具だけ。

文字通り、どん底からのリスタートでした。
 

 「パパごめん、赤ちゃんが……」絶望の病室で入った、真のスイッチ

 

仕事が回らず、保証人になった大工に逃げられ、借金だけが残る日々。
そんな中、追い打ちをかけるような悲劇が起きました。

Q:最も辛かった出来事について、お話しいただけますか。

待望の二人目の赤ちゃんが、安定期に入った5ヶ月目に亡くなりました。

妻からの「パパごめん」という泣き声を聞いた時の絶望は、今でも忘れられません。

小さな小さな、我が子(ミサ)を抱っこした時、私は自分の不甲斐なさに震えました。

「何が社長だ、何が独立だ。家族一人守れなくてどうするんだ」

でも、その病室を出た瞬間。

心の中でバチバチバチ!と「真のやる気スイッチ」が入ったんです。

「1日24時間、1年365日。死ぬ気で働けば、道は必ず開ける」

憎しみでも虚栄心でもない、「守るべきもののために生きる」という覚悟が、私を本当の大人にしてくれました。

 

 中村ミツオから【今苦しんでいるあなたへ】

 

人生、生きていれば「もうおしまいだ」と思う夜が必ずあります。
でも、十方塞がりになった時、実は「上」だけは開いているんです。

私は、机をもらえなかった床の上で、川底の暗闇の中で、そして静かな病室の中で、それを学びました。

失敗してもいい。

格好悪くてもいい。
何度でも立ち上がりましょう。


私がそうであったように、あなたにも必ず、あなたを救ってくれる出会いや、再起の瞬間が訪れます。

この続き、私がどうやって市議会議員として皆様の前に立つまでになったのか。
そのさらなる奮闘記は、YouTube「みつおチャンネル」でも詳しく語っています。
 

今回お話した内容を、YouTube『中村ミツオチャンネル』ロング版で詳しく語っております。

より詳しい内容を知りたい方は、ぜひご覧ください。
 

 


一人で抱え込まず、私の不器用な生き様を見て、少しでも「明日も生きてみよう」と思ってもらえたら幸いです。