久しぶりに自身のことを書きます。長いですが読んでいただければ幸いです。

そして、この4年間はブログを始めた時期とも一致します。お互いに大きく相関しあっていると信じます。

【初期症状】あれは、血尿だった。見間違いじゃない。ぽたりっと一滴便器の中へ・・・。初めての経験であったが、意外に冷静であった。また今度確認したら考えよう。医師にあるまじき楽観的態度なのかただの怖がりなのか、そのままトイレを出た。そこは老健、今日もいつも通りの日常が流れていた。おはようございます。お元気そうで、などという世間一般の挨拶はない。何とも言えない雰囲気がそこにある。もし癌だったら、ここで勤まる?個々の入所者の平均年齢は?などと思いながら施設長室に入った。そうこうしているうち、2回目の血尿が。これも通常の姿勢で排尿していれば分からないほどの血尿が見られた。膀胱がん?前立腺がん?考えは悪い方に行くのも医師としての習性か。何処に行こうか?病院?開業医?と悩みながらの日々が1週間程流れた。その間、徐々に頻尿になり(もともと頻尿気味であった)、血尿が見られる頻度も増した。

〖初診〗2019年5月22日、某泌尿器科医院を受診。勝手知ったる仲とはいえ、今日は患者と医師。3週くらい前に血尿に気づきまして。外に頻尿とか尿失禁などの症状は?検尿をすると尿は混濁やっと搾れるくらいの尿しか取れない、そんな状態であった。膀胱留置カテーテルを挿入し、また1週間後に膀胱鏡をやるということを約束。この1週間は最もいろんなことを考えた1週間であった。この医院での診断は、前立腺がん。膀胱タンポナーデの疑いでどこかに紹介しましょうか?僕は勤務上便利だから○○を希望した。

〖紹介〗6月21日、○○病院泌尿器科を紹介。ついに患者として○○病院の外来を訪れることになった。ドクターは膀胱タンポナーデの状態と判断し、筆者に手術を勧めた。その後手術者と思われる研修医の手術説明を聞き、同意したのち手術となった。

〖手術〗全身麻酔の元、内視鏡的経尿道的止血、腫瘍摘出(約40グラム)を行った。手術者から家族(妻)への説明:腫瘍からの出血がひどく、時間がかかった。手術前にとったCTで所属リンパ節の腫大が認められ、臨床進行期はⅣ期となる。同24日に主治医より説明があり、Gn-RH療法を行う。Gn-RHアンタゴニストを120㎎皮下注し、内服として抗アンドロゲンが処方された。PSA値は、術前43.5で術後順調に下降した。主治医からは、生活上制限するものは全くなく、仕事も普通にやって構わない。この病気は時間が経てば経つほどまた新しい薬剤が開発されるからそれを待つのも一つの手である、という趣旨の説明を受けた。

〖抵抗性〗4週に1度のゴナックス注射とビカルタミド内服を続けながら仕事も順調にこなしながら約2年が過ぎようとしていたが、退職とともに新潟市内の病院に変えた頃よりPSA値が不安定となり始め、2021年5月12日PSA値0.478まで上昇したため放射線療法が検討された。5月17日~7月6日、三次元放射線療法施行。2Gy×35回(前立腺+精嚢+骨盤リンパ節領域:2×23回、前立腺+精嚢:2×12回)、この治療は、一日1時間くらいかかる治療で、35回で終了した。

〖放射線療法〗もちろん放射線療法を受けるのは初めてである。担当ドクターより、治療の目的、効果、副作用等につき説明を受けた。特に照射野周辺の臓器障害については事細かく指示を受けた。放射線療法は、その副作用が短期的、中期的そして晩期的と10年以上たって出現するものもあるというのが厄介であろう。でもそんなこと考えたら、10年後放射線の副作用とは違った健康状態が現れることだってあり、それはそれであまり深く考えないことにした。そうこうしているうち、放射線療法から約1年後の2022年6月某日尿が強烈に頻尿になり、排尿時痛が激しくなるのを感じた。特に、排尿間隔は2~3時間で、痛みは排尿全に強く、約30秒間続いた。これは再発か?と思い主治医に電話連絡。看護師の取り計らいにより、それは「出血性膀胱炎」であろうということで、一度外来を受診。PSA値はカットオフであり、再発というより放射線療法による副作用が考えられる旨話を聞いた。これは治りますか?治ります。でもまた遅い時期に出ることもあります。と主治医。

感染防止に抗菌剤と頻尿改善剤を出してもらった。しかし頻尿と排尿時痛は日常生活にかなりきつく、妻と相談の上男性用の紙おむつで対応することとした。

〖安定期〗2か月ほどの出血性膀胱炎の時期を経て、ある意味突然と排尿回数と痛みの改善が見られ、安定した生活に戻った。しかし、回数は減ったといっても膀胱容量の減少は年齢のこともあり継続したため、ゴルフ時や外出時(例えば上京や演奏会出席時等)には紙おむつを使用することが多かった。

〖今前立腺がんに思うこと〗2023年4月現在発症から丸4年が経つ。専門用語で、NED(no evidence of disease)の状態と判断される。教科書的には、前立腺がんは進行が緩徐であり、ホルモン依存性でもあることから乳がんとの比較で述べられることも多い。僕は婦人科がんの専門医として前立腺がんのことを述べれば、放射線療法には効果ありだということ、手術は対症療法として行っただけで、手術の功罪を述べることはできないが、副作用のことを言えば、出血性膀胱炎がきつかったのみで生活上困ったことはまずない。とは言っても、がんの予後は?ということがあり、前立腺がん4期の5年生存率は国立がんセンターのデータによれば50%となっている。胃がん、肺がん、乳がんのそれがそれ8,5,25%なのに比べ格段に良好なのはがんの性質によるものか、ホルモン療法、放射線療法の寄与が大きいのか、僕はいずれの場合があると思っている。がんは早期発見!とは言うけれど、進行例で見つかった自験例もあるわけで、50歳になったらPSAを!と言わざるを得ない。しかし、仮に初期でなくてもいい治療法の選択肢がいくつもあるから、諦めてはいけない。今年で医師になって40年、産婦人科医で始まり、老健を経て健康診断、人間ドックの道へ。日本の医療は欧米に比し、予防医学には疎い傾向があると思う。早期発見とはいかなかった自分が早期発見の道で働いているという矛盾。今年の桜は暖かい気候を反映し、例年に比べ早い桜前線を飾っていた。「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛の辞世の句)」良寛が修行の地として選んだ五合庵、その分水の地で生まれ育った僕は、ゆっくりと桜並木を歩くのであった。(終)

 

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新潟県村上市、あらかわ荘

 

新潟市学校町、わかさ家のマスター&ママと

2019年1月