6/2  3goodthings!

1.数年ぶりに、以前お世話になった漢方の先生のところへ。中医学って本当に奥深くて、幾つもの角度から細かく症状の背景を考えていく。自分の体をよく観察して、体感に合わせて量をみていくところもとても興味深い。ここも自分観察なんだなー


2.自分が体のことで気になっていることが段々繋がって、自分の体に起きてる今、が少し見えてきた。

あとはやるべき事をやってみる。やはり知る事が大切。


3.週末は娘の友達がお泊まりに。沢山のサンドイッチを作ってきたよ!と抱えてやってきた。いつもありがとう〜✨




*「今日の私」を観察して、楽しかった事、よかった事,嬉しかった事を3つ書いていきます

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こんばんは!

作業療法士の杉本美穂です





育児の中で、本人の感じ方、特性に合わせることと、その中でここは頑張ろう、を提示する事のバランスに迷うことはありませんか?

個に合わせるか,社会の方に合わせるか、のバランスとも言えるかもしれません。





目に見える子どもなりの行動の背景(見えていない理由)や3人の特性を探って対応する事(氷山モデルと言ったりします)が療育では推奨されています。




でも一方で、親心としてはここは踏ん張る力出せたらな、もう一歩自分を押し上げてほしいな、とプッシュしたくなる時もある。

そこで、これは理解?それとも甘やかし?と思うこともある。   




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以前鳥羽和久さんの『親子の手帖』を読んだ時に、

先生の寺子屋塾にくる子どもたちの中で、子ども理解の高い親御さんのお子さんがむしろ、脆弱性を感じることがあるというような事が書かれていて、

すごくハッとしたことがある。




自分はどうだろうか?

自分にとって、甘やかすことと導くことの線引きはどこにあるだろう?




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野口整体の野口晴哉氏の『叱言以前』は、初めて読んだ時には目の奥がスーッと開けるような感覚があり、私が何度も手に取ってきた本の1つ。

その本の中に、



「子供を叱る前に反省しなければならぬ。子供を褒める前に考えなくてはならぬ。(中略)大人の思うようにならぬと叱ったり、大人の思うようになったと褒めたりしてはいけない。子供達が皆んな小さな大人になってしまうことは決してよいことでは無い」



という言葉がある。




同氏の著書『叱り方褒め方』の序文にも、


「褒め、叱るにはたしなみが要る。それが大人というものである。自分を見せようとしたら、褒めても、叱っても心を拓(ひら)くことは出来ない。その自分を見せつける心が先に立って叱るから反抗を呼び、褒めれば与し易しと考えるのは子供の罪では無い」


とある。




このことは、私が子育てをするにあたって、時々はたと思い出される言葉の1つで、影響を受けた言葉。





遊ぶように学ぶ楽しさを持っている子どもたちのそれが、削がれることなく育っていけたらいいなと切に願う。

そのために自分がしないと決めた事の一つは、

「自分の不安のために叱らない」ということ。




このことは,「これが理解なのか、甘やかしなのか」にも通ずる。



まずはこちらがどんな体感で今その事をみているのか。冷静に距離を持ってみれているのか。安心のあたたかさでいるのか、はたまた不安や焦りの痛みの中にいるのか。



そして、その次には子ども本人なりの理由、背景をみる。



その両者のバランスで判断する。





だから、自分が自分の行動、態度、発言の背景にどんな構えを持っているか、自分を知る過程は必要。

その上で、子ども側の理由を知る。





自分を知る過程があって、どんな自分でもいいけれど、自覚的でいられたらいい。そうでないと、どんな叱咤激励も判断基準を失い、大人都合になっているのではないだろうか。





甘やかしでなく、理解して対応するという事は、

本人の言い分をそのまま飲むということではない。

こちらの言い分を、そのまま飲ませるということでもない。





こんなめんどくさいこと、、、と思うけれど、



様々な情報に溢れ、子どもの遊びも形を変え、人と人の繋がり方も形が変わってきた今の時代に、





子どもの天心をそのままに伸びていけるには、

この面倒は避けられないのだろうな、と思う。





親子の距離も昔より近い分、その与える影響について俯瞰できた方がいい。





昔のように、右向け右は強かったが自由度高く遊んで育つことが許された時代の方が、






親も自由だったのかなーと思う。






私のような人間には、

めんどくさい時代だなーとつくづく思うけれど、

仕方がないので、日々考える。笑 






ではまた!





杉本美穂