10/17 3goodthings!

1.朝炊いたご飯のおにぎりがおいしかった🍙今日は昆布

 

2.コンビニでランチを買わないように、と思うが、晩御飯が残らない日々。

でも週2日はお弁当にしているから、ま、いいか。

 

3.昨日は長男の頃からの保育園仲間の家で、お腹が痛くなるほど笑った。あー笑うって幸せ♪

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先日面談に来たお母さんが帰り際に、

「1年、2年ときて3年生だけど、一人ぐらい支援級にと言わない先生に

あたりたいですよね」といった。

 


どうしてもやっぱり

「こっちで上手くいかない子が行く場所」感だよなーと思い聞いていた

 

 

大人が時間をかけて語り合うべきは、箱の話ではなく、箱にいるこどもの中身の話。

支援級かそうでないかの話になるとき、中身の話より箱の話に重きが置かれていく

正直そんなのはどっちでもいいというか、

どっちで何を学べるかで話さないと始まらない。



保護者も、それを言われた瞬間から、中身の話に対して心を閉ざす。

先生が箱の話に重きを置いているのが、肌感でわかればそうなるよなーと思う


 

 

子どもの側から見て、子どもが自分が学ぶべき場所として、

学習を学ぶ場所として、仲間の中で社会性やコミュニケーションを培う場所として、

自分を表現する場所として、どんな環境が力が発揮していけるか、伸びていけるか

 


そう考えたとき、併用は選択肢として当たり前にあると思う

 



間違っても、「こっちで上手くいかない子が行く場所」だという大人の価値観を押し付けるのは避けたい。それだと、子どもは本当に自分が学び取れる場所を失ってしまう

「こどもが行きたがらない」

の半分以上は、価値観の刷り込みがすでにあることが多いようにも実際思う。

 

 

あっちが上でこっちが下という話ではないけれど、

でも、そのためには、支援級がまなび舎としてしっかり機能してこそというのは前提だよね。

そのためにやらないといけない事が山積みなのは

よくわかる。そっちもやらないといけない。

 

 


大人の価値観の間で

こじれてしまう子どもたちに沢山出会あう

 



自分の人生の領分と、

人の人生の領分の線引きが、親子の場合どこにあるのか?分けないといけないに決まっている

子どもはいずれ大人になって、自分の人生を歩むし、そのためにこの力をって気持ちも話もわかるけど、踏み込みすぎたらそれは、何かを壊している事も自覚しておく。


 

 

出せる力を最大限出せる状態とは、

その子らしさの最大値の状態でい続けること

 


持って生まれた、生まれてから育った力を惜しみなく出せること、自分を使いこなせる事

要らんことをすると、最大限は出せなくなって

むしろマイナスでしかないので、

 


いつもイメージするのは、この子の出せる力の

最大値はどこか、そのお手伝いはどれか

何をするかも大事だけど、余分なことはしない

必要な土と、あげる水の量、タイミングをみている



あげればあげただけ育つわけでなく、かならず腐る

 

 

その子らしさの最大値

それでいいのだと思う。

最大値以上は、だれも出せない


 

 

今日も最後までみてくださりありがとうございます!