息子を見送ってから一年3カ月。

未だに我が家にはちゃんとした

仏壇は設けていません。

それでも当時は、まさかこんなに早く我が家が仏事を執り行うことになるとは思いませんでしたから、わからないまま習わしに従って儀式を進めていきましたので、四十九日に早々と納骨を済ませました。


ほかの天使ママさんの記事を拝見すると、亡くなった後も遺骨を自宅に置かれてる方も結構いらっしゃることに驚きました。


今思えば、そんなに急がなくて良かったのかな?と思います。

しきたり上、遺骨は納骨しなくてはいけないものだと思っていた私は、分骨は善し悪しの説があるようだけど、少しでも自分の側に息子を感じていたかったので、遺骨の一部を自宅に置きました。


五体をバラバラにすると、息子があの世で不自由になるんじゃないかとも思ったので(ならないだろうけど)、ほんの小指の第一関節ほどの欠片を小さな骨壷にうつしました。


そして更に魚の小骨くらいの欠片を、

遺骨ペンダントにして、その日から1日と欠かさず、身につけて日々過ごしています。


毎日気がついたら、無意識に首元のペンダントの

チャームを触っています。



私の中ではあの時で時計が止まったまま。


一年以上経った今、息子のことは既に過去の出来事と思っているだろう周りの人には、ただのアクセサリーのようにしか見られてないだろうなと思います。

誰がここに息子の骨がぶら下がってるって

気付くでしょうか?


想像もつかないでしょうね。

まわりは同じくらいの年齢のお子さんがいる方ばかり。

家で待ってれば必ずいつか帰って来るし、

LINEすればそのうち返事が返ってくるんです。

居て当たり前。恋人ができて当たり前、結婚して当たり前、子供ができて父親になるのが当たり前。


まさか、我が子が自分より先に逝くなんて・・

骨になって自分の首に掛かってるなんて・・

想像できないし、考えもしないでしょう。


そんなあり得ない運命背負ってる人間がここに、同じ空間で同じ時間を過ごしてるんですよ。

こんなに近くに・・


我が子と衝突したくらい、思い通りにならないくらい、いいじゃないですか。

生きて帰って来てくれるんだから・・

幾つになっても、親に心配かけてくる・・

いいじゃないですか。

そんなことが起きる日常がある事が奇跡なんです。

一人欠けることなく家族の呼吸を感じれる明日が来る事が奇跡なんです。


あ〜会いたいな。

奇跡が起きないかな・・