息子は学生ではなく、
もう社会人でしたから、
息子の訃報を人伝に聞いてたけど、
学生時代からすると、ご無沙汰しててどうしたらいいかわからないでそれきり
(昔は子供を通して習い事や役員とかで親の関わりもありましたよね)
の方って未だに結構います。
そして偶然そんな方にばったり遭遇すると、
そんな言い訳されます。
単独だとわざわざ連絡もしにくくて、なんて声かけたらいいかわからなくて、そしたら時間だけ過ぎしまったと。
また改めてその方に息子の死を報告するわけです。昨日もそうでした。
遭遇しなかったら一生そのままにするつもりだったんですかね?
逆の立場だったら、その気持ちはわかる。
でも結局息子の死に向き合って貰えてないんだな。避けてるって事か?
私達だって、望んでこの運命を背負ったわけじゃない。
みんな自分を守りたいんだな。
報告する度にあの日の記憶が蘇り、落ちますね。
昔から息子の事を知ってくれてるから、
あの笑顔と元気いっぱいでめちゃくちゃいい子だった〇〇君が、病気とは全く縁遠いはずの〇〇君が・・と言われる度に、それはこっちが一番聞きたいって思います。
ねえ、なんで?何でうちの子なの?
ほんとにもういないんだよ、何で?ってね。
逆縁は、
紛れもなく自分の身に起きた現実なんですね。
他の誰でもない自分なんですよね。
考えたら恐ろしくて、信じられなくて、
生きている限りこの現実と向き合っていかなきゃいけないんですね。
暗闇から暗黒の手で心臓や首を鷲づかみされてるような感覚です。
ここに来てまた気持ちが落ちて来ました。
そして、一年かけて長引いていた労基署から
やっと返事が来て、更に堕ちています。
それはまた次回話しますね。