息子が亡くなったことに、なぜなぜ?と

考えている時って、思い出したくなくても、

あーもしかしたらあの時・・みたいな事の記憶が蘇ってきます。


亡くなった年の春頃、いつものように朝、洗濯物を干そうと庭のテラスに出た時、目線の先で数匹のハエが飛んでいて、ん?と思って前進すると

そこには一匹の猫の死体が😱😱ここは山奥でもなんでもないのに・・

庭の敷地内なのに、カラスが連れて来たのか、内臓も食われていて😥😥

出勤前で時間もなかったこともあり、必死な想いで袋に入れて処分しました(愛猫家の方ごめんなさい)


長年使用していた息子のご飯茶碗も、落として割ってしまいました。


他にも、裏の庭に、どこからか飛んで来た種が大きくなって放っておいたら樹になってしまい、お隣に影響したので、無理やり抜いたんです。

木って生命が宿るっていうし、無理矢理はよくなかったのではないか・・とか。


義母に当時主人の子供の頃の端午の節句祝いの道具を引き継いだけど、最初から古いしボロボロ化してた事もあり、これも処分したんです。


息子が置いたままにしていたぬいぐるみ、学生時代の服なども実は断捨離捨してしまった。(今更捨てなきゃ良かったと後悔)


こんな事が実は全て、不幸を招くやってはいけない事だったんじゃないか?とか思ってしまい、息子のことに結びつけてしまうんです。