祥月命日は10月29日ですが、

納骨堂にて少し早い一周忌法要を

執り行いました。


自宅で法事をしないと、

会場に必要なものを持ち込まないといけません。


息子の遺影、法名軸、お供え(果物、菓子)、仏花、お布施、手土産、参列者へのお返しなどの他、

会食のお店探し、駐車場の場所、料理予算、アレルギーの確認、座席はどうするか。


一行事に、やるべき事は山のようですよね。

なんで、これが全て息子の為の法事なのか・・と時々虚しさを感じながら、淡々とやりました。


行事が終わると、参列者へお礼の電話なり、今はLINEなりをしますよね。

こちらも、お約束なお礼の言葉を伝えますが、返ってくる言葉もお約束です。

ただ、「お元気そうで、安心しました」って返って来ると、どこ見て言ってるんだろう?って感じますね。

きっと精一杯言葉を選んでそれなんでしょうけど・・


会食の席でも、息子の話なんて誰もしない。

自分の近況か、自分の家族か

食べてる料理の話。

私達家族の近況に興味ないんでしょうかね?

聞きもしない。

何しに来てるのかしら?この人達


お坊さんのお経の後の講話も・・

予め準備してきた話なのか、途中で言おうとしてる言葉をド忘れしたのか、何度も何度も同じ単語を繰り返す。


誰も彼も、一イベントに義務で参加してるだけなんだなと感じ取れます。


法事って、結局日頃用事でもない限り集わない身内が、いつもより高価な料理を振舞ってもらえてお互いの話をする場のためだけにありますね。

その場を、表向きは息子の為にと来てくださった人達に私達が提供しているようなもの。


息子への想い方は人それぞれ。

決して薄情なわけじゃないとはわかるけど、

こういう場でしか、息子の思い出話できないのにな・・


こうして時間と共に息子の存在は周りからどんどん薄れていく・・

身内でさえこうなんだから・・


来年は三回忌。また同じメンバー、同じ会場。

なんだかな・・主人と娘と私だけでお寺でやってもいいような気がしてきたな・・。

て思うのでした。


息子ならこう思うだろうな・・

別にいいじゃん。

両家で集まるのはなかなないから、

美味しくて、楽しかったらそれで。

俺は俺の話して欲しくて

来てもらいたいわけじゃないよ。

皆んながちゃんと思ってくれてるのわかるから

充分嬉しいよ。

だから、俺の代わりにお母さん、

来てくれた皆んなに感謝してよ。


そうだよね。

息子よ。ママはもっと感謝しなきゃだね。

ごめんね、こんなママで。