子供が成長するまでは、子育てだけにとにかく一生懸命で、子供のためならと何を犠牲にしても後悔はしなかったし、生きがい、やりがいを感じながら過ごしてきた。
親なりの人生設計の中では子供の浪人や私立への進学は予定外だったけど、子供の選択を咎める事をせず、応援してやった。
大学時代は経済的に大変だったけど、順調に社会人になってくれた事を心から喜んだ。
やっと、やっと親から手を離れ、自分で生きる道を歩き始めたと思った。
そのうち、一生涯共にするパートナーを紹介され、家庭を持ち、新しい家族がどんどん増えていく事を楽しみに見守りながら老後はゆったりまったりしていくものだと思っていた。
何ら欲を出したわけでも、理想を求めたわけでもない。どこの親もが普通にやる事をやってきただけ。当たり前に訪れるであろう未来を想像してただけ。
なのに、親から独立して間もなく、息子は逝ってしまった。
母に言われた。
「注ぎ込むだけ注ぎ込んで死なれてから」
相変わらずの暴言は無視するとして。
ひまわりのようにいつも笑顔が印象的で、心も清水のように綺麗だった息子は、花火のようにパッと咲いてパッと消えた。
人は遅かれ早かれ大切な人との別れを経験をするけど、子供に先立たれる経験は、みんなじゃないから。しないで済む人の方が多い。
そう運命付けられてしまった私達子を失った親は、何故私達だったのだろう。
幸せを問いたら、
息子のいないこれからの人生、何を幸せと感じる事ができるのだろうか?
親にとっては、我が子が幸せな人生を私達がいなくなった後も続いていけること。それは子供の幸せであり、勿論私達の幸せ。
親にとって我が子が生きていてくれること、それが幸せであるということ。
それを失ってしまったのだから、
幸せになる努力やおまじないって
もう必要ないなって感じてしまう。
時々、お笑いに反応したり、美味しいもの食べたり、好きなところを旅行したり、これまではどんな小さな事でも、あー幸せだなあって感じてたけど、これからはその感じ方はもうできないなって思う。
何をしても、あー、息子はいない。
もう帰って来ない。
常に脳裏でそう思ってる。
ここで、同じ境遇の人にしか理解できない
なんとも表現し難いこの感覚。
これが、他に比べようのない
喪失感というものなんだろうな。
て、初盆が終わって気合いが抜けた
独り言でした。