お久しぶりですチョキ

アメリカに住まわれてる方は

どんなThanksGivingとBlack Fridayを過ごされたのでしょうか?

 

私は毎年買うものが特になくても

旦那と夜中から買い物に出かけるのがイベントになっています音譜

お祭りムードを味わうのが楽しくて、、w

 

話は変わりますが、

母親から姪っ子が幼稚園で作った作品の写真を送られてきて

昨日の晩にその姪っ子の作品について母親と電話で会話したことを

少しブログにも書きたいなと思いました。

 

姪っ子の作品というのが

お菓子の空き箱や余った装飾品などを使って

自分を作るというものだったそうで

詳細までびっくりするくらい上手にできていて

その成長に感動してしまいました。

 

そんな話をしていると、母親が

そういえば姪っ子の作品は義妹曰く

クラスの中でもひときわ大きく、

1人だけ丸ではなく

四角の箱を使って顔を作っていたんだと

言っていたそうです。

 

それを聞いて、

ふと姪っ子にそのままでいてほしいな

と心から願ってしまいました。

 

いつか自分の使った四角の箱と

周り子達が使った丸の箱の違いに気づくような年齢になったとしても

その違いを恥ずかしいと思わない

その違いを誇りに思えるような

姪っ子のいる環境がそんな環境であり続ければいいのにと。

 

 

私がアメリカにきて一番の衝撃が実はそれだったりして、

授業で先生が生徒の答えに対して

決して間違いだといった表現を使わないんですよね。

必ずそういった考え方もあるよね!とか

確かにそんな風な視点は大切だね、

だけど、例えばそうだとして、こんなケースに陥った時はどうだろう?と

質問をしながら軌道修正をうまくしたりする。

正解の枠ももっと曖昧で広く、そして柔軟だったりする。

 

正解か不正解の二択を明確に突きつけられる教育を受けてきた私からすると

とても衝撃で、不正解が明確にない世界に、とてもアメリカを感じたりしました。

 

もちろんどんな教育のあり方のも一長一短があるのだけれども

変わった視点で考えるのが好きだった小さい頃の私は

特に国語の授業では、スタンダードの考え方を常に意識しながら

授業で発言したり、テストの回答をしたりしなくてはいけなくて、

その傍らで自分なりの自由な発想を展開させたりして楽しんでる、

そんな子で。

 

でもたまに、これはスタンダードだと思い込んだものが

自分特有の考え方からくる突飛な答えであったと、

発言してから気づく時があって

そのたびに、全然視点が違うと先生に言われ

自分は変わっているのだなぁといつも恥ずかしく感じていたことを

姪っ子の話を聞きながら思い出しました。

だからこそ、アメリカで初めて授業を受けた時の衝撃は今でも覚えています。

 

話を少し戻しますが、、、

義妹の話曰く、姪っ子のクラスは若い先生なので

子供達に比較的口出しをせず自由に作品作りに取り組ませる姿勢があるみたいで

みんなの作品がとてもバラエティーに富んだものだったそうなんです

 

他のクラスの先生方は日頃から子供たちに対して

どうした方がいい、こうした方がいいと助言が割と多めだそうで

そのクラスの子達の作品は完成度は高いものの

みんな似たり寄ったりだったそうなんです。

 

それを聞いて、あぁ子供って本当に純粋で従順で

環境一つでこんなにも影響されるんだなと

改めて環境の大切を感じたのです。

そして、日本とアメリカの教育の違いによる結果と似てるなとも思いました。


周りとの違いって

その子の個性そのものだと思うんです。

かけがえのない何よりも大切にするべきものだと思うんです。

そういう違いこそ、大きくなってから

生きていく上で、自分の一番の強みになって

自分を支えてくれるカテになる

人としての非常にコアな部分になると思うんです。

 

そういう真っ白な自由な発想から生み出されたものが

どうかこの先矯正されることがないように

それを恐れることなく表現できるその心が

どうかそれぞれの個性や違いをポジティブに捉えてもらえる環境が

いつまでも続きますようにと

姪っ子の作った作品からそんなことを強く願ってしまい

母親と永遠と話し込んでしまいました。