憂国のサラリーマン -56ページ目

中国の放射能汚染








広島、長崎が被爆、反原爆運動の象徴とされているが、本当はウイグルこそ、それにふさわしい。広島に落とされた原爆の最大300個分に相当する核実験を、40回以上も人の住んでいるウィグル人の土地で行った中国の非人道的行為は、許されるものではない。この動画に出てくるウィグル人医師は、先日読んだ「中国を追われたウィグル人」(著者:水谷尚子)にも書かれている。顔まで晒して大丈夫なのだろうか。世界各地で中国の非道を告発するウィグル人が、不自然な交通事故にあったりしている。中国の経済成長の裏にこうした側面があることを忘れてはならない。


中国を追われたウイグル人―亡命者が語る政治弾圧 (文春新書)/水谷 尚子

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おばちゃんは仕込み?w



右上のおばちゃんみたいな人が多いんだろうなw しかし気持ちいいなあ、この番組w

広島・長崎

広島、長崎での被爆と、今回の福島原発の被曝の比較が気になるところであるが、前者について長年研究をしてきた放射線影響研究所のHP http://www.rerf.or.jp/general/qa/qa12.html  にこんなQ&Aがあった。

12
広島・長崎にはまだ放射能が残っているのですか?
12
いいえ、実質的には残っていません。

その解説にいろいろ気になる箇所がある。要は、原爆の影響というのは、爆発した瞬間のガンマ線や中性子線、熱による影響がほとんどであり、今回のような半減期の長いセシウム137による長期間の体内被曝の参考にはならないのではないかということである。この研究所のHPには他にも要覧や各種の論文が掲載されているので参考になる。少なくとも他のQ&Aは一応見ておいた方がいいかも。


以下、
放射線影響研究所HPからの引用

両市の残留放射線量は、現在では年間の自然放射線量(0.001-0.003 Sv)よりもはるかに少なく、健康への影響は全く心配ありません。残留放射能は爆発後1週間で90%以上が消滅し、1年以内に自然放射線のレベルになりました。

この問題に関連して、「ウランやプルトニウムは核廃棄物処理場で危険物となる可能性があり、またチェルノブイリ事故の後も環境中に危険なレベルで存在して いたのなら、なぜ広島と長崎は住めない状態ではないのですか。」という質問もよく受けますので、ここで合わせて解説したいと思います。 原爆が炸裂して、その結果残留放射能が生じることになるのですが、その出来方には2通りあります。一つは、核分裂生成物 あるいは核物質自体(広島原爆に使用されたのはウラン、長崎原爆に使用されたのはプルトニウムです)が放射性降下物(フォールアウト)として降ってきて地 上を汚染するものです。同じような土壌汚染がチェルノブイリ事故でも起こりましたが、その規模ははるかに大きなものでした。 → [詳しい説明はこちらをご覧ください

残留放射能のもう一つの出来方は、中性子線が地面や建物に当たって生じるもので(中性子放射化)、放射能を持たない物質に放射能を帯びさせることにより生じます。

放射性降下物(フォールアウト)
広島・長崎の原爆は、地上600 m(広島)、503 m(長崎)の高度で爆発しました。そして巨大な火球となり、上昇気流によって上空に押し上げられました。爆弾の中にあった核物質の 約10%が核分裂を起こし、残りの90%は火球と共に成層圏へ上昇したと考えられています。

その後それらの物質は冷却され、一部が煤(すす)と共に黒い雨となって広島や長崎に降ってきましたが、残りのウランやプルトニウムのほとんどは恐らく大気 圏に広く拡散したと思われます。当時、風があったので、雨は爆心地ではなく、広島では北西部(己斐、高須地区)、長崎では東部(西山地区)に多く降りまし た。

この地上汚染による最大被曝線量は、広島では 0.01-0.03 Gy、長崎では0.2-0.4 Gyと推定されています。爆心地での降下物による被曝線量は上記の値の約10分の1と考えられています。

現在では放射能は非常に低く、特に1950年代60年代を中心に世界中で行われた(地下ではなく)大気圏核実験により世界中に降った放射性降下物による微量の(プルトニウムなどの)放射能との区別は困難です。

中性子放射化
原爆から放出された放射線の90%以上はガンマ線で、残りが中性子線でした。

中性子線には、ガンマ線とは異なり、放射性でない原子を放射性の原子に変える性質があります。爆弾は地上よりかなり上空で爆発したので、爆弾から放出され た中性子線は、地上に届いても弱いものでしかありませんでした。ですから、原爆の中性子線によって生じた誘導放射能は、ネバダ(アメリカ南西部)、マラリ ンガ(オーストラリア南部)、ビキニ環礁、ムルロワ環礁などの核実験場で生じたような強い汚染ではなかったのです。

これまでの推定では、爆発直後から今日までの 爆心地 における最大放射線量は広島で 0.8 Gy、長崎で 0.3-0.4 Gyと考えられています。また爆心地からの距離が 0.5 kmの場合には爆心地における値の約1/10、1 kmでは 約1/100と考えられています。この誘導放射能は爆発後の時間経過と共に急速に減少しました。すなわち、爆発後1日目に上記の値の約80%、2-5日目までに 約10%、6日目以降に残り10%が放出されたと考えられています。爆心地付近は、火災がひどく翌日までほとんど立ち入りできなかったことを考えると、誘導放射能による被曝線量は、上記爆心地の値の 20%(広島では 0.16 Gy、長崎では 0.06-0.08 Gy)を超えることはほとんどなかったのではないかと思われます。

広島と長崎の原爆では、心配しないといけないほど大量に生成された長寿命の放射性原子(セシウム134)でも半減期は約2年でした。こうして生じた様々な 放射能は、その大半が短時間で消失してしまったため、現在では超高感度の特殊な装置を用いてかなりの時間と労力をかけてようやく測定できる程度のもので す。このように低レベルではありますが、最近開発された超高感度な方法を使って得られた残留放射能の測定値は、原爆によって放出された中性子線量の推定に 使われており、最新の原爆放射線量推定方式(DS02 )の根拠の一部となっています