戦勝国
Konichiwaさんのブログに転載されているのを読んだのだが、あまりに名文なので、真似して転載させた頂くことにした。実は昨日、同じような内容の文章を推敲していて、アジアやアフリカの植民地マップなどの画像ファイルも準備していたのだが、睡魔に負けて寝てしまった。でも、逆によかった。こんな名文と比較されていたかと思うと冷や汗ものである。ちょっと長いですが、是非ご一読を。
以下、「戦勝国は日本だった」のブログ から転載。
アジア解放達成 及び 戦勝報告
靖国に眠る英霊の皆様方へ
今日ここに英霊の皆様方にアジア解放達成及び大日本帝国の戦勝をご報告申し上げることが出来ることは、皆様方の子孫たる我々にとって無上の喜びである事をまずはご報告いたします。
1歴史推移
歴史を俯瞰すれば、17世紀初頭、徳川幕府の開闢とそれに続く我が国の鎖国政策の採用は我が国に260年に渡る平安をもたらした。しかし、その反面、アジアの強国であった日本が鎖国という究極の平和政策を採り続けているのを良いことに、ヨーロッパ白人はアジア諸国を次々に侵略、植民地化を推し進めた。その結果、東亜住民は欧米白人の奴隷以下に身を落とし、資源の搾取、人種差別政策、民族の分断・断絶、奴隷売買、麻薬被害などに甘んぜざるを得ない状況に追い込まれた。
欧米白人は我々有色人種に対して言われ無き差別を行い、虫けらの如く殺戮を繰り返した。そして、南北米州先住民、オーストラリア先住民を事実上絶滅へと追いやり、絶滅させた先住民の代用労働力としてアフリカ先住民を拉致、米州へ強制連行する間、海上にて半数を投棄殺害、生き残った半数には奴隷労働を強要し、さらに殺戮を繰り返した。
19世紀中盤、欧米白人はいよいよアジア地域において唯一完全独立を維持していた我が日本にも植民地化の触手を伸ばし始め、独立の維持と固有の文化歴史をまもるため、我が祖国日本は究極の平和政策であった鎖国政策を廃止、そして明治維新を断行、国家体制の近代化、欧米列強に対抗するため富国強兵政策を開始した。その結果、我らが父祖は 日清戦争、日露戦争に勝利、白人列強に対し反撃の狼煙をあげた。
1917年ロシア共産革命の成功は我らが祖国に対し更なる試練を与えることに成った。我らが父祖は邪悪なるマルクスレーニン主義、即ち共産ファシズムから国体及び東亞住民を守るため、満州国を建国、ここを国際共産主義運動への防波堤とすべく王道楽土の建設に邁進したのであるが、有色人種国家たる大日本帝国の興隆を妬む白人は蒋介石を手先として、我が国への挑発妨害を繰り返し、ついに米国はフライングタイガーなる現役米兵パイロットからなる義勇空軍を中国戦線へ投入、帝国陸海軍と直接戦闘を交えるという軍事挑発を行い、更に大日本帝国の在米資産を凍結没収するという泥棒行為を働くと同時に、軍事用燃料、鉄鋼の禁輸を行った。また、時を同じくして米国国務長官 コデール ハルは所謂”ハルノート”を帝国政府に突きつけ、帝国に東亜からの全面撤退を要求するに至った。
忍耐ここに極まれり、武人国家であり有色人種の雄でもある大日本帝国は座して死を待つよりは乾坤一擲の打撃を与えるべく、また、アジアを白人植民地から開放すべく、昭和16年12月8日、太平洋全域において大東亜共栄圏確立のため米英蘭と開戦するに至った。
帝国陸海軍は緒戦において白人軍を圧倒、東亜全域を占領下に置き、ビルマ、フイリッピンの独立を承認、その他地域においても白人軍からの反撃に備えるべく現地軍を組織化軍事訓練を施した、また、教育制度も創設、長期に渡って愚民化政策に甘んぜられてきた現地人に対し文盲を根絶すべく学校教育を開始した。
斯様なる大東亜共栄圏の具現化により窮地に立たされた白人帝国主義者は太平洋全域で帝国へ反撃に出るも、玉砕、特攻に代表される帝国陸海軍の頑迷なる抵抗に直面、日本本土侵攻を諦めるに至り、卑怯にも明らかにジュネーブ協定違反となる残虐極まりない核兵器を使用した。また、ソビエトロシアは日ソ中立条約を一方的に破棄、満州、北鮮、樺太、千島において姑息にも火事場泥を働くという蛮行を行うに至った。
原爆使用、条約破りと言う、なりふり構わぬ白人帝国主義者の悪行に対して、天皇陛下はこやつ等を敵とするに値しない蛮族であると判断し、戦争の終結をご決断、白人帝国主義に対して降伏という形をとり大和民族の再興を期すこととした。
英霊へのご報告
アジア各国の独立
白人達は大日本帝国の降伏に小躍りし、勝利したものと思い込み、再びアジアを植民地にすべく帝国陸海軍が撤退した後のアジアに宗主国として舞い戻って来ました。しかし、そこに待ち構えていたのは、以前では考えられなかった武装して良く訓練された現地独立軍とそれを指揮する残留日本兵でした。 白人帝国主義者は大戦前と同じように武力を持って高飛車に出れば、アジア人は白人に平伏すものと舐めきっていたのですが、残留日本兵によって訓練された現地独立軍は日本軍が遺棄した武器を使用して頑迷に抵抗、次々に独立を勝ち取りました。
昭和30年4月、戦後独立を果たしたアジア・アフリカ各国はインドネシア連邦共和国のバンドンに結集、バンドン会議を開催しました。この会議には日本代表も招かれ、人種差別の防止、諸国民の平等などが決議され、植民地主義が否定されました。ここにアジアは白人植民地主義者から解放されたのであります。
最終的には1975年ベトナムの完全独立を持って殆ど全ての植民地は独立を果たしました。さらに、アジアの独立に呼応して、アフリカにおいても独立戦争が各地で勃発、アフリカの白人植民地も次々に独立を果たしました。開戦に当たっての帝国政府声明文に書かれているように、大東亜戦争の主目的であった【東亜から米英の暴政を廃し、本然明朗たるアジアに復する】ことが実現したのであります。
これは英霊の皆様方が大東亜戦争において犠牲に成られたおかげであります。
国際連合の発足
大日本帝国への経済封鎖が大東亜戦争を誘発し、多大な犠牲を払わざるを得なかったことに反省した白人国家は戦後国際連合を立ち上げました。戦後独立したアジア・アフリカ各国は主要メンバーとして参加、その数は200ヶ国に上り、国際社会における有色人種の発言力を高めることに貢献しております。
これも英霊の皆様方の犠牲のおかげであります。
大東亜共栄圏の実現
戦後独立したアジア各国は、戦前日本が白人の顔色を伺わなくては手に入らなかった各種資源を日本に供給して、製品を買ってくれました。日本もアジア・アフリカへ膨大な経済技術援助を行いました。その結果、日本は脅威的な経済発展を遂げ、世界2位の経済大国と成っています。アジア各国も豊富な資源を白人に搾取されることが無くなり、日本と同様に経済発展を成し遂げ、今や世界の経済中心はアジアへと移動しています。すなわち、大東亜戦争の主目的であった大東亜共栄圏が確立されたのであります。
これも英霊の皆様方の犠牲のおかげであります。
大東亜戦争の目的の殆どが戦後に達成されました。そして、白人国家は全ての植民地を失いました。イギリス、フランス、オランダは欧州の弱小国家へ転落しました。米国では人種差別が崩壊、有色人種は平等を勝ち得ました。これらは全て英霊の皆様方の犠牲のおかげであります。
戦争目的を達成したということは日本は戦後になって戦勝国と成ったと言うことであります。
国民を代表して私達 日本戦勝国論研究会議がアジア解放達成と大東亜戦争での戦勝をご報告申し上げると同時に、戦後65年間、英霊の皆様方のご功績に対して正当な評価をしてこなかったことを国民に代わりお詫び申し上げます。
平成22年 皇紀2670年 8月15日、
日本戦勝国論研究会議 代表 安濃 豊
生活保護 その2
生活保護断られ電気・ガスなし10年 熱中症死の76歳
2010年8月17日3時8分
さいたま市北区の民家で15日、熱中症で死亡した無職の男性(76)は、十数年前に生活保護を申請したが認められず、その後、約10年間、電気やガスのない生活を続けていたことが、同居していた長男(48)への取材で分かった。長男も腰痛などで長年働けず、2カ月で十数万円の男性の年金を頼りに、貧しい生活を続けていたという。
埼玉県警によると、男性は15日昼ごろ、暑いと訴え、長男が買ってきた氷を枕にして寝ていたが、同日夕、寝室で倒れていた。
2人が暮らしていたのは、住宅街にある古びた2DKの借家。16日は雨戸やカーテンが閉め切られ、電気メーターは動いていなかった。
長男によると、エアコンや冷蔵庫はあるが、月5万5千円の家賃や食費を差し引けば、光熱費や電話代を出す余裕はなく、食事の調理はカセットコンロを使っていた。生活保護が認められなかった後、男性が電気やガス、電話を止め、再び保護の申請をすることはなかったという。 (朝日新聞)
中国人が来日してすぐ生活保護を受けている一方で、こんな事件が起きている。以前も生活保護が受けられずに餓死された人がいたけど、どうにかならないのか。まずは日本人優先だろう。
国民の生活が第一と言っている民主党さん、この事件どう思うの?
国は一所懸命やっている、埼玉県の問題だと言いそうだな。
電気、ガスなしで10年よ。他にも同じような人はいると思うよ。
外国人に子供手当て払ったり、朝鮮学校を無償化している場合じゃないでしょ。
校歌
ブログネタ:校歌、覚えてる?
参加中小学校の校歌は1番から3番までほぼ覚えてるが、中学、高校、大学の校歌はほとんど覚えていない。何故だろう?
脳の中には神経細胞が1000億あって、それらがネットワークをつくっているそうだ。左右の耳の奥あたりにある海馬と呼ばれる部分が司令塔になって記憶をコントロールしているらしい。その海馬は、本能的、感情的な行動を司る部分とつながっているため、喜怒哀楽が記憶を促進させるそうだ。
また情報は五感を経て海馬に入るため、いろいろな刺激を伴って入る情報は、それだけ重要視されるらしい。つまり、同時に目で見て、耳で聞いて、手で書いたりした情報は、目で見ただけの情報より、強くインプットされ、記憶される。
つまり、小学校時代は、それ以降と比較して、歌詞を見ながら口に出してまじめに歌っており、しかも朝礼等で高い頻度で繰り返されていたので、また運動会等の楽しい感情と結びついているので、脳に刷り込まれているのだろう。中学以上になると、校歌以外にも覚えなければならないことが格段に増え、また真面目に声に出して校歌を歌わなかった。そもそも朝礼で校歌を歌うなんて機会がなく、入学式や卒業式のときしか聞かなかったような気がする。
我が母校 花見川第一小学校の校歌
1.きよらかな 水はゆたかに
若草の もえたつ大地
ここにたつ 母校 心の ふるさと
たくましく やさしく なおく
育つ よろこびに むね 高なる
われらの 花見川第一小学校
2 さわやかな 風はみどりに
歌声の はずむ窓べよ
ここにたつ 母校 心の ふるさと
明るく きぼうに みちて
学ぶ よろこびに むね 高なる
われらの 花見川第一小学校
3 はてしなく ひろがる空に
ゆめをよぶ かがやく太陽
ここにたつ 母校 心の ふるさと
手をとりて 世界の 友と
進む よろこびに むね 高なる
われらの 花見川第一小学校