憂国のサラリーマン -125ページ目

朝鮮戦争

またまたねずきちさんのブログから。

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朝鮮戦争のことがすごく分かりやすく書いてあります。
今、北朝鮮や韓国、中国との間でいろいろな問題がありますが、それぞれの国の背景を知らずに、目の前のことを騒いでも問題の本質を見誤る可能性があります。
朝鮮戦争は、共産主義の勢力拡大を目指す中国、ロシアとそれに対抗するアメリカとの間で犠牲になって南北に分断されたとか、このときの戦争特需が、
日本の経済復興のきっかけになったくらいの認識しかありませんでした。
歴史は繰り返す、とか温故知新という言葉がありますが、未来のために過去を勉強する必要があるなあと、最近つくづく思います。
現在の南北朝鮮の緊張状態も60年前に似ているのではないでしょうか。というより、本質的に60年前と変わっていないのでしょう。
少し長いですが読み応えがあると思います。

以下転載

朝鮮戦争は、昭和25(1950)年6月25日~昭和28(1953)年7月27日の停戦まで続いた戦争です。この戦争で、韓国軍約42万人、民間人106万人が命を失い、1千万人が一家離散の悲劇にあった。

実は、これに先立つこと5年前、昭和20(1945)年、大東亜戦争が終わってすぐの9月6日、朝鮮半島では呂運亨(ヨ・ウニョン)率いる朝鮮建国準備委員会が、半島統一国家の建設を企図して「朝鮮人民共和国」の樹立を宣言しました。

そのまま統一朝鮮が樹立されればよかったのですが、樹立宣言の翌日、米占領軍が半島に上陸します。
そして米占領軍は、半島に軍政をひくことを宣言します。
米軍は呂運亨率いる「朝鮮人民共和国」及び「朝鮮建国準備委員会」を否認した。
統一朝鮮・・・朝鮮人民共和国としての独立は、わずか5日で崩壊してしてしまったのです。

この頃、北緯38度線以北では、すでにソ連が進駐をはじめていました。
ソ連軍は10月までにソ連が“各地で自発的に生まれた”と主張する人民委員会を管理下に置き、朝鮮北部を占領します。

同じ頃、シナでは、蒋介石率いる国民党の敗退が始まっていました。
米英が、蒋介石率いる国民党への支援を打ち切ったのです。
米英は、それまで蒋介石率いる国民党に、日本と戦わせるための豊富な軍事物資や食糧、金銭などの支援を行ってきました。
しかし終戦となったので、彼らはもう“用済み”というわけです。

支援物資の補給を断たれた国民党。
ソ連から旧日本軍の装備を無償で譲り受ける毛沢東率いる八路軍(中国共産党)。
勝敗はおのずと明らかだった。
補給を断たれた国民党は、シナ各地で八路軍に追われ、シナは赤化が目前となっていきます。

ソ連は、半島内部でも、同じことをした。金日成(キム・イルソン)率いる共産パルチザンに旧日本軍の装備を次々と与えたのです。
南満州で国民党残存勢力を駆逐した金日成は、朝鮮北部にはいり、昭21(1946)年2月8日、「朝鮮臨時人民委員会」を設立します。
そして日本が築いた半島北部の重工業地帯を強奪。
朝鮮半島の富の源泉を完全に支配下に置いた。

半島北部での共産国家設立の動きに対し、日本統治時代にアメリカに亡命して独立運動を繰り広げてきた朝鮮人李承晩(イ・スンマン)は、朝鮮半島での反共産勢力による早期の国家設立をアメリカに迫ります。李承晩は、後の韓国初代大統領です。
彼は、昭和22(1947)年6月に「南朝鮮過渡政府」設立を宣言します。

米国は、共産主義者と民主主義者が対立を深める朝鮮半島について、これを話し合おうと同年11月、国際連合に半島統治問題を提起します。

北の金日成は、この動きに危機感をつのらせます。

そして金日成は、翌1948年2月8日に「朝鮮人民軍」を創設。
同月26日、北緯38度線以北に「朝鮮民主人民共和国」の成立を一方的に宣言した。
半島北部の経済地帯であり、半島の富の源泉である重工業地帯を手中におさめているのだから、いまさら貧乏な半島南部などいらない、というわけです。

アメリカは、これを激しく非難した。
金日成はこれに対抗して実力行使に出ます。

なんと彼は、南半部への送電を全面的に停止してしまいます。
当時南半部の電力は、日本によって建設された北部のダムによる発電に頼りきっていたのです。

半島南端にある済州島にいた南朝鮮労働党のゲリラは、これに呼応して武装蜂起します。自分たちも北の共産党に入りたいというわけです。

李承晩は、すぐさま暴動の鎮圧に乗り出します。そして武器を持たず暴徒化していた済州島民8万人を虐殺してしまいます。(昭和23(1948)年済州島四・三事件)。

実力行使によって暴動を陳圧した李承晩は、同年8月15日、「大韓民国」の成立を宣言します。

金日成はこれに対抗して翌月9日に「朝鮮民主主義人民共和国」建国を宣言した。
これにより、北緯38度線は単なる境界線ではなく、事実上の「国境」となった。

昭和25(1950)年1月12日、米国トルーマン政権下のディーン・アチソン国務長官が、次のように発言します。

アメリカが責任をもつ防衛ラインは、フィリピン、沖縄、日本、アリューシャン列島までである。
それ以外の地域は責任をもたない。

この発言の意図は、ひとつには、あくまで米国の国防政策において太平洋の制海権は絶対に渡さないというものです。そしてもうひとつ意味は、李承晩を抑え込む意図でした。

李承晩は、上海で統一韓国臨時政府樹立を行ったときに、日本の憲兵隊に逮捕された経歴を持ちます。彼はそのため日本に対して個人的な怨恨を持っていた。
そしてかねてより、日本に対して竹島領有宣言など、報復的、敵対的発言を重ねていたのです。
そして李承晩は、あくまで朝鮮半島の統一とそのための戦争を頑強に主張していた。

もう戦争は終わったのです。
いまさら誰も戦争などやりたくない。米国内の世論だってそれを許さない。

米国政府は、李承晩にいい加減、手を焼きます。

そして米国は、韓国の軍事力の大半を米国で請け負うことで、韓国軍が単独で重装備して北朝鮮に攻め込むことを防ごうとしていた。
韓国に僅かな兵力しか与えないことで、とにかく李承晩の暴発と半島内での紛争を防ごうとしたのです。

一方、このことは、北の金日成にとっては、南朝鮮の李承晩による北侵攻の危機を抑え込む好機を意味しました。

金日成は、昭和25(1950)年3月、ソ連を訪問し、スターリンに李承晩との開戦許可を求めます。

スターリンは、毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認する。
同時にソ連軍事顧問団に、南侵計画である「先制打撃計画」の立案を命じます。
スターリンの考えは、金日成の南進によって朝鮮人同士で戦わせ、万一、金日成がしくじることがあっても、ソ連は直接には手を下さず、毛沢東に後ろ盾をさせようというものでした。

同年5月、金日成はシナの毛沢東を訪ねます。
そして「北朝鮮による南半部への侵攻に際し、中華人民共和国がこれを援助する」という約束を取り付けた。

昭和25(1950)年6月25日午前4時、北緯38度線で北朝鮮軍の砲撃が開始されます。
宣戦布告はありません。いきなりの侵攻です。

30分後、11万人の大軍からなる北朝鮮軍が、38度線を越境します。

ちなみに北朝鮮は、現在に至るまでこの開戦を「韓国側が先制攻撃してきた」と主張しているけれど、この主張はソ連崩壊後のロシア政府でさえ、公式に否定しています。

前線の韓国軍は、一部の部隊が独断で警戒態勢をとっていただけの状況だった。
ただでさえ少ない韓国軍兵士は、6月の田植えのために、ほとんどが田舎に帰っています。

しかもソウルでは、前日に陸軍庁舎落成式の宴席があり、軍幹部が二日酔いで登庁すらしていなかった。
李承晩大統領への「北来襲」という報告すら、奇襲後6時間経過してからだった。

手薄な前線の韓国軍には、対戦車装備すらありません。
そこに北朝鮮軍は、ソ連から貸与されたT-34戦車を中核にして、次々押し寄せてくる。
各所で韓国軍は総崩れとなり潰走します。

朝鮮戦争の攻防
朝鮮戦争03


初戦の猛攻での大勝利。
金日成は、一気呵成に李承晩を半島から追い落とし、5回目の光復節をソウルでむかえると宣言します。北朝鮮軍の士気はおおいに盛り上がった。

開戦3日目の6月28日には、韓国の首都ソウルが陥落。
住民に多くの犠牲を出しながら、韓国政府は、首都をソウル南方の水原に移します。

このときソウル陥落の際、李承晩は漢江にかかる橋を爆破してしまいます。
それは北朝鮮軍の侵攻を遅らせるためだったのだけれど、このときまだ漢江以北には多数の軍部隊や住民が取り残されていた。
孤立した韓国軍兵士とソウル市民は、北朝鮮軍によって随所で虐殺された。

水原に落ちのびた韓国軍は、敗軍そのものだった。士気も下がり、全滅が現実のものと感じられる状況となっていた。

そこにマッカーサーが、東京からやってきます。
水原は、敗走する韓国軍兵士と負傷者でひしめいていた。
マッカーサーは米軍の派兵を韓国軍に約したけれど、その日のうちに東京に帰ってしまった。

東京に帰ったマッカーサーは、米国政府に在日米軍2個師団を投入するように進言します。
しかし戦争の再発をおそれたトルーマン大統領は、米軍参戦を許可しない。
それでも食い下がるマッカーサーに、トルーマンは、ようやく1個師団だけの派兵を許可します。

大統領の許可を得たマッカーサーは、日本に駐留していた第24師団の第21連隊第1大隊を基幹とする師団を水原市に派遣します。
部隊は水原南方の烏山の高地に陣取って北朝鮮軍を待ち受けた。

対する北朝鮮第4師団は、ソ連製T-34-85戦車やSU-76M自走砲などの車輌を先頭に烏山に迫ります。

このとき派遣された米第24師団は、大東亜戦争での経験を持たない、新たな徴用兵たちだった。
旧日本軍との戦闘経験を持つ精鋭は、戦いに疲れ、すでに本国に帰還していたのです。

北朝鮮軍を視認した米軍は、バズーカなどで攻撃を加えます。
しかし相手は、ソ連の誇る新鋭T-34/85戦車です。
バズーカごとできは、まったく歯が立たない。

北朝鮮軍の戦車と歩兵は各所で戦線を突破し、米軍は総崩れとなって大敗します。

マッカーサーは、米精鋭部隊の派遣を要請するけれど、戦争に倦んだ米国世論は、これを許さない。トルーマン大統領は、できたばかりの国連安保理に諮り、第二次大戦戦勝国諸国での多国籍軍を編成し、これを朝鮮半島に送り込みます。
しかし、明確な指揮命令系統を欠き、準備不足の国連軍は各所で敗退する。

李承晩は、水原も捨て、南へ南へと、逃げ続ける。
このとき敗走する李承晩は、自国を守れず潰走しながら、武器を持たない韓国保導連盟員や共産党関係者の政治犯など20万人以上を虐殺しています。

一方で北朝鮮は、忠北清州や全羅北道金堤で、大韓青年団員、区長、警察官、地主やその家族などの民間人数十万人を「右翼活動の経歴がある」などと難癖をつけて大量に虐殺している。
朝鮮人同士で、武器を持たない市民を虐殺しあっていた。
そしてこの虐殺から逃れてボートピープルとなった朝鮮人たちが、大挙して日本に逃げてきた。

李承晩は、ついに朝鮮半島南端の釜山まで追い詰められます。

釜山は、この時点で韓国にとっての最後の砦です。
韓国軍は釜山を取り巻くように防御線をひいていた。

このとき、米軍を主力とする国連軍はすこしずつ増援されてきていました。
しかし、兵力の逐次投入という愚をさけるためと称して、彼らは兵力を釜山にとどめ、戦いに参戦しない。戦略的に時間をかせぎつつ大兵力がたまるのを待つ、というのです。

このとき、韓国軍に金錫源(キム・ソクウォン)という人物が現われます。

彼は、漢城出身のコリアンで、日本の陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て、満州事変やシナ事変で一個大隊を率いて中国軍を殲滅。朝鮮人としては初、また生存している佐官では異例の功三級金鵄勲章を天皇陛下から授与された経歴を持つ人物です。

金錫源は、国連軍の総司令官がマッカーサーであることを哄笑してこう言った。

日本軍を破った男が日本軍を指揮するのか。
よろしい。
日本軍が味方にまわればどれほどたのもしいか、
存分にみせつけてやりましょう。

彼はそういって軍刀の柄をたたいた。

金錫源は、元日本兵だった経験を持つ1個師団を率います。
そして粛々と釜山東部の守備に就きます。

そこに北朝鮮軍がやってくる。大軍です。
北朝鮮軍は金錫源率いる師団を包囲します。

金錫源の師団は完全に孤立した。

その状態で、8月15日深夜、金錫源はなぜか米軍本部にこっそりと使いを出します。
そして一部の兵力を夜のうちに海岸線方面に移動させた。

そして双方の戦いが始まります。

金錫源は、飛び交う銃弾の中で、日本刀を振りかざして陣頭に立った。
そして敵軍を睥睨し、撃て~!と叫んだ。
その姿は、これこそがほんとうの軍人の姿だ、と兵の士気を著しく高めたといいます。

金錫源たちが奮戦している間、米軍は動きません。
多国籍軍も、釜山にあってひたすら沈黙を守っている。
金錫源率いる師団に援軍はありません。
「孤軍」の状態で、金錫源たち旧日本兵師団は戦います。

金錫源は、頃あいをみて、兵力を敵右翼に集中すると、北朝鮮軍に一斉砲撃をしかけます。
そして、にわかに突撃を命じます。

相手は命知らずの旧日本軍韓国兵です。
北朝鮮軍はあわてて後退した。

敵殲滅の好機到来です。金錫源の士気はいやがおうにもあがります。

ところがこのとき、なぜか金錫源は、全軍に退却を命じます。
深夜です。日付はすでに16日になっている。

北朝鮮軍は、韓国軍が退却し始めたのを見ると、反撃に転じ、金錫源軍をいっきに殲滅させようと迫ってきた。

これが、金錫源のワナだったのです。

北朝鮮軍が進路を東に転じて海岸線にでたところに、あらかじめ金錫源から連絡を受けていた米艦艇が、やにわに姿を現します。
そして北朝鮮軍めがけて、一斉に艦砲射撃をあびせた。

天地がくつがえるかと思われるような轟音がひびき、無数の砲弾が北朝鮮軍第五師団のうえに降りそそぎます。米国誇る太平洋艦隊の主砲です。T型戦車などひとたまりもない。

それを待っていた金錫源の第三師団は隊列を変化させ、北朝鮮軍を包囲して砲撃を開始します。艦砲、迫撃砲、榴弾砲などあらゆる種類の砲弾が火を噴いた。
北朝鮮の戦車を粉砕し、兵を空中に飛ばした。

北朝鮮軍は壊滅し、兵士たちがバラバラになって敗走をはじめます。

ところがその潰走ルートには、金錫源があらかじめ忍ばせた伏兵がいた。
潰走する北朝鮮兵に猛射をあびせた。

「草木皆ナ兵ト化ス」

恐慌状態におちいった北朝鮮軍は、軍隊組織として統制のとれた行動をすることが不可能となった。
北朝鮮軍は予想外の損害をうけ、いったん盈徳を放棄して西北にさがり、休息と再編を余儀なくされてしまいます。それだけでなく、友軍との連携すらとれなくなった。各部隊の孤立化がはじまった。

8月22日、金錫源たちが戦った釜山の反対側の西側では、遊鶴山のふもとを守っていた韓国軍一個大隊が、北朝鮮軍の攻撃に耐えかねて後退を開始ます。ここにも元日本兵が数多くいた。

このままでは米軍第27連隊の側面が敵にさらされる。戦線の崩壊もまぬかれない。
釜山が陥落すれば、もはや韓国はおしまいです。

そこに、白善燁(ペク・ソンヨプ)師団長が駆けつけます。
そして散らばっていた兵を集合させて座らせた。
白善燁も日本軍の出身です。
1939年平壌師範学校を卒業したのち、奉天の満州軍官学校に入学、41年に卒業して満州国軍に任官し、43年には間島特設隊に配属され戦っています。

白善燁師団長は、このときマラリアを患い、高熱を発していたのだけど、集まった西側守備隊の兵士たちに
「二日間,補給もないのによくがんばってくれた。感謝の言葉もない」
とねぎらいの言葉をかけた。そして、

「ここが破れればわれわれには死が待っている。それに見ろ。アメリカ人もわれわれを信じて戦いに来ている。かれらを見捨てることができるか」と静かに語った。

そして突然立ち上がると、大声で兵士たちに言った。

「ただいまより、あの四八八高地を奪回する!
 ワレに続け!
 もし俺が臆病風にふかれたら後ろから撃て!」

そうさけぶと、銃をとり、先頭にたって突撃を敢行した。

兵たちは驚いた。

いきなり前線に師団長が現れたかと思ったら、鬼気がのりうつったかのように咆え、駆けだした。

「師団長に続け~~!」

鬼人と化した韓国軍は、わずか一時間で四八八高地を奪還してしまいます。
そしてそこから谷底の北朝鮮軍にむかって猛烈な砲火をあびせます。
そしてここでも北朝鮮軍は完全に潰走した。

前線の北朝鮮軍が無力化されたことで、米軍はその退路を断つ作戦を発動します。
そして仁川に上陸すると、南進していた北朝鮮軍の補給路を完全に断ち、9月28日には、ソウル奪回を果たした。

勢いを得た米韓多国籍軍による南軍は、反攻に転じ、10月1日にはそのまま38度線を突破、10月20日には、北朝鮮の臨時首都の平壌までも制圧します。

北朝鮮が完全に壊滅とみられたとき、中国共産党義援兵が北朝鮮に味方して参戦します。
100万人以上の大兵力です。
米韓多国籍軍は、シナの人海戦術に、平壌を放棄し38度線近くまで潰走した。

しかしシナの大軍の装備は、ソ連から補給された日本軍の残存兵器です。
それ以上の装備はない。旧式兵器に頼るシナの援軍は、度重なる戦闘ですぐさま消耗し攻撃が鈍ってしまいます。

米韓多国籍軍は、ようやく態勢を立て直して反撃を開始し、翌年3月14日にソウルを再奪回。
しかし、戦況は38度線付近で膠着状態となった。

そして最終的に38度線を休戦ラインとして、現在にいたっています。

以上が朝鮮戦争の概略です。

戦いには「勢い」と「転機」があります。

北朝鮮の南進により、もはや対馬海峡に追い落とされるのも時間の問題にまでなった韓国軍を、その窮地から救ったのは、旧日本軍に所属し、数々の武功を立てた元日本兵でした。

上に登場した金錫源将軍は、朝鮮動乱で韓国軍が雪崩を打って敗走を重ねた時、軍刀(日本刀)を振りかざし、
「攻勢こそは最大の防御」
「死をもって戦うときにのみ勝機は訪れる」と部下を叱咤激励したといいます。

韓国軍が釜山で辛うじて全軍の崩壊を免れ踏みとどまったのは、かつての大東亜戦争の英雄が
「ここにあり」と奮戦する姿に鼓舞されたからだともいいます。

金将軍は多くの将校が近代戦には邪魔になるといって軍刀をはずす中、
「日本刀は武人の魂である」と、ひとり軍刀(日本刀)を手放さない人でした。

昭和55年、金錫源将軍は、靖国神社に参拝しています。
靖国には、フィリピンのルソン島各地を中隊長として転戦し、アレプンヨ高地で壮烈な戦死を遂げた彼の次男、金泳秀が祀られている。

金錫源将軍は、参拝後、一緒に参拝した元日本陸軍の兵士たちにこう語ったといいます。

自分の息子は戦死した。
それは軍人として本望である。
本人も満足しているであろう。

息子を犠牲者として日本を恨むような卑怯な姿は、金錫源将軍には、微塵もなかった。
逆に、並いる旧日本軍将兵らが、金錫源将軍に「軍人精神の神髄」を見たと感嘆したそうです。

韓国人が日本統治時代の歴史を肯定的に評価した「親日派のための弁明」という本があります。金完燮(キムワンソプ)という人が書いた本です。
金完燮は、この本のために、韓国内で問題視され、本は青少年有害図書に指定され、金完燮は逮捕された。

彼はこう書いています。

まず日本社会が一日も早く米国と周辺国により強要された自虐史観と植民史観から抜け出す必要がある。
過ぎた歴史に対する反省はどの国家でも必要なことだが、日本は、過去史に対する反省があまりにも行き過ぎている。
日本では過去の歴史に対する正当性を理解しようという動きがより強化されねばならず、これを通じて歴史に対する主体性回復がなされなければならない。

ねずきちは、保守です。
そして保守というのは、歴史と伝統と文化を重んじる者を指します。

「“日本の”歴史と伝統と文化を重んじる者が保守」という人もいます。

ねずきちは、そうは思いません。

なぜなら、どこの国にも歴史と伝統と文化がある。
それをそれぞれ尊重するのが、正しいあり方だと思うからです。

戦前の日本は、大東亜共栄圏を構想しました。それは東亜の各国がそれぞれの国の歴史と伝統と文化を、尊重し、育み、独立して、互いに共存共栄するという構想でした。

大東亜共栄圏構想は、日本一国が繁栄すればよいという、偏狭なナショナリズムではありません。

みんなが良くなる。みんなが繁栄する。
そのために互いに協力する。

これは、友愛などと言葉だけの美言で、日本の歴史・伝統・文化を否定し、特アのいいなりになる日本の現政権とは、まったく趣を異にします。

歴史をねつ造してまでして自国のナショナリズムを喚起させ、他国を非難するどこかの国とも違います。

歴史を正しく学び、互いの文化、伝統を重んじ、嘘やねつ造を廃して正しく学ぶ姿勢こそが、正しい道であると、ねずきちは信じます。

ちなみに、この朝鮮戦争のとき、日本にボートピープルとなって逃げてきた朝鮮人を、当時の日本は、まだ戦争の傷跡の癒えない焼け野原の中で、そのすべてを受け入れました。

日本が戦前に徴用した朝鮮人は多数いましたが、戦後、日本は国費をもってそれら朝鮮人を本国に帰還させています。
どうしても帰りたくないと、日本に残った朝鮮人は、正式に記録に残っていますが、わずか245人です。

それが戦後60年を経て、いまや日本国内に200万人の半島出身者が居住する。
どんなに派手なネズミ算をしても、245人が60年で200万人に増えることはありません。

要するに、朝鮮戦争のときに、日本に逃げてきた朝鮮人の子孫が、いまの在日コリアンです。
そして彼らは、日本は悪い国だと言う。

韓国の初代大統領李承晩は、戦時中に半島の独立運動を謀ったかどで憲兵に逮捕され、暴行を受けた経験を持ちます。そのため彼は極端に日本を嫌悪した。

しかし彼は、韓国内で自国民を大量虐殺している人物でもあります。
そして北の金日成の南進を招き、釜山界隈まで追い詰められ、半島の自由民主主義勢力を、壊滅の危機まで追い込んでいます。

皮肉なことに、李承晩率いる韓国を、最後の最後で北朝鮮の支配から救ったのは、彼が最も嫌悪した旧日本軍の帝国軍人です。

終戦後64年。
朝鮮戦争停戦後56年。

日本も韓国も、そして在日コリアンの方々も、もういちどこれまでの歴史観を一度リセットし、本当の歴史、真実の歴史を、あらためて見直してみるべき時にきているのではないでしょうか。

違法操業合戦


船をぶつけられ側は衝突のビデオを公開せず、ぶつけた側は賠償を要求する・・・どこかで聞いた話だw

相変わらず中国は強硬な姿勢を崩しませんね。韓国はこれからどう対応するのでしょう。問題を解くのに失敗した隣の生徒を見て、予習する時間は十分あったはずです。

中国船員に暴力をふるわれた警備艇の乗員の治療している姿をTVで流したのは、軽いジャブでよかったのではないでしょうか。

ただ、中国側は決して謝らないでしょう。今後の成り行きを見守りたいと思います。

それはそれとして、韓国漁船の悪質な日本領海内での違法操業が一時問題になっていましたが、今はどうなんでしょうか。もしまだ問題が継続しているなら、韓国にあらためてクレームするいいタイミングなのではないでしょうかw


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http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081113/plc0811130101001-n1.htm

平壌研修に補助金って・・・



先日、神奈川県知事が、留保していた朝鮮学校への約7千万円の補助金を支給すると判断を下しましたが、この川崎市のケースはやっぱりおかしいでしょう
川崎市民でも神奈川県民でもありませんが、朝鮮学校教員の平壌研修に補助金を出すというのは、どう考えても理解が得られると思いません。ハワイ研修やバリ島研修でも補助しそうですね。朝鮮総連の会議室利用名目で補助金が総連に流れているもおかしいです。
そういえば、中国人の学校ってあまり聞かないですが、すでに約70万人も在日中国人がいるので、あってもおかしくないですね。インターネットで調べた限りでは華僑の子弟の教育を目的にした中華学校が、東京、大阪、横浜、神戸にあるようです。しかし、いずれも各種学校の扱いなので、あまり補助金は使われておらず、いろいろ規制があって定員も増員できていないようです。ただ、朝鮮学校が補助金をもらえるのならと、そのうち中華学校も要求を強めてくる可能性はありますね。
いずれにしても、郷に入っては郷に従えで、ここは日本なんですから日本の教育が基本であり、それが嫌なら勝手にしろです。補助金を出す筋合いはまったくありません。強制連行だの補償だのとごねる輩には、そんな事実はないと毅然とした姿勢で対応すべきです。むしろ今まで不当に補助していた分の返還を求めたいくらいです。