●ピサロと皇帝アタワルパ


ヨーロッパ人とアメリカ先住民との関係における

最も劇的な瞬間。


1532年11月16日にスペインの征服者ピサロとインカ皇帝
アタワルパがペルー北方の高地カハマルカで出会ったとき。


ピサロ:ヨーロッパ最強の君主国であった神聖ローマ帝国
    カール5世の世界を代表していた。
    そのときは168人の部隊を率いていただけ。

アタワルパ:8万の兵士に護られていた。


⇒それにもかかわらず、アタワルパはピサロにより
 捕らえられ、8ヵ月後に処刑されてしまった。


この出来事は、より普遍的な重要性がある。


●カハマルカの悲劇


ピサロは、ビセンテ・デ・バルベルデ神父を遣わし、
アタワルパに、神とスペイン王の名において
主イエス・キリストの教えに従い、スペイン王陛下
に仕えることを求めた。


しかし、アタワルパはバルベルデが渡した聖書を投げ
捨ててしまった。。。

その後、ピサロ軍の攻撃が始まった。


アタワルパの側近のインディオは8万人いたにもかか
わらず、168人のピサロ軍に勝てなかったのだ。


なぜ、数万の兵士を擁していたアタワルパが
ピサロを捕らえることができなかったのか?