以前自分の棚卸の中で、自分の母親をそんなに嫌いじゃ無いと気付いた私↓↓


そして新しい可能性に向けて日々模索中の私…


そんな私に新たな野望が生まれた



私の母

ものすごい多趣味


最近では習字で東京のどっかのでっかい美術館で表彰された

地域の祭の踊りの師匠やった

バレエやったことあった

ダンスも昔習ってたな



むむ…

これうちの母さんのがとんでもない可能性秘めてるくね?


私ゆくゆくは地方の女性活躍推進がしてみたい


だってこんな雪深いところで生活して

冬の期間は家丸ごと雪に覆われて雪の中でずっと耐えて

しかも風土的に女性が男性に物を言えない感じ

その状況をも丸ごと受け止めて

上手に家の中を回している

そんな女性が弱いわけない

絶対多くのポテンシャルを秘めている


だから

縮こまって欲しくない

いつも姿勢良く自信に満ちて生きてほしい


けれど、やはりそう言う人たちは強いからこそ可能性を受け入れない

己が我慢することが一番良いと思って不満も受け入れそこに生きている


今って別にネットがあるし、ずっと同じところで苦しい思いをして何かをしている事に意味がないように感じる


本人がそれで良いなら何も文句は無い


しかし、なんだか不満だらけなように見える


私の母がそうだ


さらに年齢が追い打ちをかける


最近は習字で成果を上げているからこそ少し上向いているが、少し前の落ち込みようは凄かった

だから私もそんな母を養いたいと思っていたが、


そもそも母は私に養ってほしいのだろうか?



母は多分歳を重ねた自分でも自分自身の力で生きていきたいと思っているはず


そう思った


だから私は母が自分自身の力で生きていけるようにそれを引き出すためにもまず自分で成長してそれを母に伝えて一緒に成長してみたいと思った


と言っても私がこんな事している事はまだ話せていないのだけれど

成果を上げれば喜んでくれる姿が想像できる


だって39歳での妊娠を手放しで喜んだ人だ


今の段階ではせめて私のやる気が周りに伝播しないかと願うばかり…


私は私一人のために新しい道を模索しているわけでは無い

大切な誰かの成長のために行動をしているのだ

と思うと不思議に背筋がシャンとしてきた