執着
人間失格を読みながら、共感とも同情とも言われぬ涙を流し、いや自分とは少し違うなとか思いながら、一人でいるときには隔離が進む一方。
楽しいことが起これば、それが終わるときには虚しさを覚えるし、それが楽しければ楽しいほど、虚しさも大きい。
結局、寂しいおわりを迎える気がする。
その程度は分からないけど。
私、執着があまりないみたい。
むしろ、執着されている気がする。
それによって繋がれている気がする。
お互いに執着がなければ、私が出す答えはきっとただ一つ。
悲観主義者なんでしょう。
answer blog
7時半、職場に到着。
通勤途中で、ブログのチェック。。。
やっぱりね、UPしてると思った(笑)
今日、仕事はほどほどにやると決めたので、問題ないです。
そして、夜は知人と食事なので、睡眠時間1hでも、朝からばっちりメイクしました。
電話の後、空が白んで、久々に朝の美しさを見た。
通勤途中、まぶしすぎる日差しをサングラス越しに眺めて、
清々しいような、それでいて少し胸がキュンとした。
長かったね・・・
会って話すときはいつもそうなんだけど、たいてい4、5時間はかかる。
それでやっと満足いく。
まるで出産。思想の出産、言葉の出産。
いつも難産(笑)
あんなに感謝の言葉をくれて、私も本当に嬉しい。
この出会いは、全ての人にもたらされるわけではない奇跡といって過言ではない。
これが当たり前のことではなく、間違いなく貴重な出会いであることを認識してる。
そしていつもこれに感謝をし、この身の幸せを喜んでる。
あなたの考えは、私の先を行っていることが多いし、すでに言葉に具現化していることが多くて、天賦の才能を感じるよ。
わたしも鍛えられたな。
あなたの持つ弱さは、同時に優しさで、そんなところにも魅かれている。
ずば抜けた判断力。
あなたの後押しがあれば、わたしはたいていの人を敵に回しても構わないなぁ(笑)
というか、既にたいていの人と話が合わないから、ある意味、敵とかそういう次元を超えちゃってるけど。
真理って、世間一般の考えと同一ではないでしょ。
自分だけの真理って言う場合もあるし。
私が生きているということ自体なんだか違和感があるのだけど、
なんだかふと魂が身体から離れるような感覚に陥ることがある。(私にはそういうパワーはないけどね)
心と身体が別々のもののような感覚・・・
そんな生活の中で、
どちらかといえば、心と身体が切り離された時の私と話が出来る存在はただ1人。
現実を生きる私ではなくて、思想の中に生きる(←といえばいいのか?)私と・・・
わたし、きっとどこかで満たされていないのだけど、
ある部分では、もう一生分満たされてる。
この一部分は確実に、幸せ以外の何物でもないよね。
ありがとう。
言葉には所詮限りがある。
感謝の念は、伝えきれないよ。
うわーい
面白いくらいにリンクしていたので、
一回消した記事を、つむじ風にUPしておきました。
ねぇ、
不思議だよね。
ホント。
こういうタイミングっていうのかな。
うちら3人が、このタイミングで集まる話をしたこともそうだし。
まぁ、同じようなこと悩んでいるようじゃ、
うちらもまだまだダメだね笑
愛しき親友さま。
私も同じですー。
ダメだこりゃ。
もうちょっと真剣に考えてみたら、
まとめて、話すわ。
どうせ、もう会えるしね。
そんときは、ノートとシャーペンでも持ってくかな。
苦しいなぁ。
なんだか、とっても。
あ、とりあえずね、
今月まで岐阜にいらっしゃる彼女からのお言葉は、
「考えすぎだよーあはは」
って、感じでした。
全て考えすぎらしいです。
ごもっともですよね。ホント。
考えるくらいなら、やめればいい。
単純な話なんだけどね。ホント。
