まずは お知らせです
橿原近鉄百貨店のカルチャーのところで
30土曜日 31日曜日と
色々な カルチャーから
生徒さんの物品販売をされます
わたしの通う 安川先生のクラスでは
こんな感じに 展示され
販売されます
《生徒さんの作品です》
わたしも誘われましたが 色々
忙しく 申し訳ないですが
辞退しました
今日は 母の皮膚ガンの手術をしたところの
抜糸へ行きました
待ち時間の長いこと
でも 全て無事に終わりヤレヤレです
火曜日 友人というか
年上の親しくしている お姉さんですが
最近 どうしてるのよと
お昼休みに 外で会い 1時間でしたが
一緒に食事をしました
そして 昨日水曜日に
白和え作ったよと 届けて
くださりました わぁ
自分では 作るのが下手で‥
めっちゃ好きですありがとう💕
そして… タイトルにした35年の
ありがとう は‥
正確にいうと 35年ほどですが
水曜日 仕事で 職場の近くに
外出していたら
が鳴り Tさんというお客様が待ってます
事務所へ帰ってきてください
とのこと Tさん?まさか??????と
5分ほどで 戻りました
そして 職場の 入り口前で
ご高齢の女性と わたしぐらいの男性が
立っていました
車を降りると
『 やっと会えた Mさん やね? 』と
わたしの旧姓呼ばれました
あーーーーーーーーやっぱり
そのご高齢の女性は わたしが大阪で
20代前半 銀行に勤めていた頃
お世話になった
支店長さんの 奥様でした
35年 もっとでしょうか 奥様だし
それ程 会ってはいませんでした
当時は 支店長さんの豪邸で お正月
全員集まり お祝いするというのが行事
で 奥様とお顔見知りでした
もうこの何十年も前から お世話に
なった支店長さんは 施設に入られた
と聞き 友人と会いに行こうと
お会いできないかと
何回か 申し出たりしましたが お電話で
奥様は 気持ちだけいただきたいと
いうことで こちらから電話をすることも
やめていました
その事も コロナのずーーと前のことです
たまたま 人づてに息子さんと仕事上で
繋がりのあることがわかり
わたしが今の勤め先にいることを
奥様宛に手紙を 出したことがありました
奥様は 実は 主人が1月の末に
亡くなりまして‥と
えっ??というと 奥様は
主人が銀行へ勤めている時 毎日
のように 貴方の名前を出して
話をしていた 主人は貴方がとても
好きだったのよ と‥
いつもいつも 貴方ことを褒めて
言ってたのよと
主人を大事にしてもらって
だから どうしても主人のお礼に
お顔を見たかったのよと わたしの
手に抱きつき 会えてよかったと
言ってくださりました
わたしの初めの配属先から
2店めの転勤先の支店長さんで
転勤する時に とても気難しい支店長よと
評判を聞いていて
それに 残業がすごく多いから
みんなあの支店は 嫌がるのよと
不安で転勤をしたのが
まだ21歳くらいの歳でした
確かにあまり
近寄りがたいような 雰囲気のある
方でした
その後大変お世話になり 支店長さんが
定年で辞められる時は
わたしは退職していましたが
当時の支店のみんなで集まり 定年のお祝いを
したのが お会いした最後でした
その時 15名ほど集まり みんなで
寄せ書きを お渡ししました
その寄せ書きは 大切にしておられて
原本はそのまま 飾り
コピーをして それを棺にいれたのよと
言われました
その話を聞いて ウルウル
してしまいました
とっても大きな‥満中陰が終わったと
これをもらって欲しいと 置いて帰られました
こんな あたたかい人の繋がりって
本当に あたたかくて 言葉にできない
くらい なんとも言えない気持ちに
包まれた日になりました
その夜 当時の仲間とまだ仲が良く
LINEで 繋がっていて
仲間から みんな 奥様より
満中陰が 届いたと連絡がありました
寄せ書きを書いた 全員に届いたようです
ゴールデンウィークは
集まって ご焼香へ行こうと
いうことになりました
昭和は古いって言われるけれど
スマホもなく パソコンもなかった
けれど 楽しい時代でした
微かですが 覚えているのは
あの時の寄せ書きに
《支店長さんに たくさんの
ことを教えていただき
仕事だけでなく 人として大切なこと
成長出来ました‥》のような事を
書いた記憶があります
最後の最後まで
覚えて下さったこと
ありがとうございました
‥‥‥安らかに
‥‥‥‥‥‥ 合掌