「わろてんか」と、もも・エビ・東北産のオモシロさ | ももクロ→エビ中→東北産の魅力

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葵わかな が主演している、NHKの朝ドラ「わろてんか」も、もう終盤に向かっています。

 

彼女は、元スタダ・アイドルで、

笑顔が特長の役、「てん」を演じています。

 

 

元スタダ・アイドルの出世頭は、

ももクロ世代が早見あかり、

エビ中世代が葵わかな、ですね。

 

女優を目指すスタダ・アイドルは、皆、注目していたんじゃないでしょうか。

朝ドラを女優を目指す安本さんも、見ているとブログで書いていました。

 

葵さんは、柏木さん と同学年、大のひなた推し
「俺の藤井2015」の「人見知りサミット」では共演しています。

 

 

葵さんは、女優ですが、「てん」役での愛らしい笑顔は、

「アイドル」だな、と思いました。

 

柏木さん も、笑顔が特長なので、

もし、早く転校して女優に専念していて、

この役をできていたら…なんて、思ってしまいます。

 

百田さんだって、「べっぴんさん」じゃなく、この役をやってたら、とか。

こちらの方が似合ってますから。

 

 

「てん」は、吉本興業の創業者の吉本せい がモデルです。

だから、「笑い」や「笑顔」がテーマになっています。

 

吉本せい は、千日前に本拠地を移して、快進撃を演じました。

この千日前というのは、墓地や処刑場があった場所です。

 

古くから、芸能や「笑い」というのは、

そういう非日常の要素とつながりがあるものなのです。

 

吉本のしゃべくり漫才の「ツッコミ」と「ボケ」は、

伝統芸能の萬歳の「太夫」と「才蔵」を元にして生まれました。

 

その特徴は、「非日常」を介した「日常」の更新ですね。

 

萬歳は、非日常の正月に、歌舞と笑いで、エネルギーを与えます。

道化としての「才蔵」は非日常を開き、

「太夫」はそれを戻しながら、新年を祝福します。

 

漫才は、日常の常識の世界に対して、

そこから、逸脱する役(ボケ)と、戻す役(ツッコミ)が生み出す「笑い」です。

 

あるいは、「ツッコミ」が守っている、形式ばった、高い緊張のシチュエーションから、

ぶっちゃけた、緊張の低いシチュエーションに、「ボケ」がオトす「笑い」です。

これも、逸脱の一種です。

 

基本的には、常識や話の文脈の共有を前提にして、そこへ戻るので、

「大人」が、安心して笑える笑いと言えるでしょう。

 

 

 

先日の、AbemaTVで放送された、STARDUST PLANETの発足パーティーの、

生放送後に収録された “未公開トーク”で、

MCの飯塚さんが、

「最後に、皆の士気を上げるような締めの言葉をお願いします」、

と、百田さんに、ムチャぶりをしました。

 

困った百田さんは、オーケストラの「指揮」のボケをしましたが、

いち早くツッコんだのは、飯塚さんじゃなく、

「相方」の玉井さんと、大阪のたこ虹でした。

 

 

これって、典型的なボケとツッコミによる笑いです。

 

スタプラをスタートさせる非日常のイベントの締めに、

笑いでエネルギーを注ぎ、メンバーの「士気」を高めたワケです、一応。

 

もっと言えば、新年をスタートさせる「萬歳」と似ていて、

百田さんは「太夫」の役をふられたけれど、

「才蔵」を期待されていると理解して、オトしたわけです。

 

 

でも、百田さんの、輝く笑顔の魅力って、

そういう笑いの笑顔だけじゃないですよね。

 

逸脱を逸脱として、否定的に笑うんじゃなくて、

逸脱して生まれたものを受け入れて、

喜び、祝福するような笑いがあると思います。

 

 

かつての ももクロや、エビ中の「笑い」について、

「大人の笑い」じゃなく、「子供の笑い(中学生の笑い)」だと、

何度も書いてきました。

 

「大人の笑い」というのは、ボケとツッコミのように、

常識や話の文脈の共有を前提にして、

そこへ戻って着地する、安心感のある「笑い」です。

 

それに対して、共有があやふやで、皆が食い違ってばかりいる、

皆が天然ボケで、ニヤニヤ笑いが続く、

それが、「子供の笑い」です。

 

「子供の笑い」の方が、より自由や創造の可能性がある思います。

かつての ももクロやエビ中には、そういう「子供の笑い」の要素がありました。

 

例えば、エビ中の最初の舞台の「マキアート」は、

エビ中のそんな現実を極端にしたような世界でした。

 

でも、ももクロもエビ中も、徐々に成長して、

トークのスキルが上がるに従って、

しっかりしたボケとツッコミの笑いに落ち着いてきました。

 

ですが、天然やボケの逸脱を「受容」する姿勢は、その中にも残り続けるでしょう。

 

 

「お笑いのオモシロさ」じゃなく、「トークの面白さ」も、同じです。

後者は、「インテレスティング(興味深い)」の方の面白さです。

 

子供が成長して大人になっても、

「自由」な人間は、自然に個性があって、面白いと思います。

 

不自由な大人から見たら、「逸脱」になって、

笑いの対象になったりすることもあるんですが、

自由な大人から見たら、単に面白い。

 

 

2/13の「エビ中☆なんやねん」では、エビ中メンバー3人が、
「自由」、「バランス」、「仕切り」の役でトークの練習をしました。

 

「自由」は、「ボケ」、もしくは、「天然ボケ」で、常識から逸脱する役割、

「バランス」と「仕切り」は、「ツッコミ」的な、常識の側に立つ役です。

 

* その時の写真じゃないですが


その後、柏木さんが台本にないフリで、

木本さんと おかずクラブの3人にもやらせましたが、
芸人なのに、全然、うまくトークできませんでした。


木本さんは、「自由」の役だったけれど、「自由」になれず、

それを指摘されて、「エビ中は自由の天才」、と発言する始末でした。

 

木本さんは、トークのルールを明快に説明してくれますが、

だからといって、「自由」ができるわけでない。

 

エビ中は、「天然」なメンバーが多いので、「自由」が得意です。

これこそ才能です。

 

全員が「自由」だと、「子供のトーク」になりますが、

エビ中は、今回、結構うまくトークができたと芸人に評価されので、

「バランス」や「仕切り」も、できるようになって、

「大人のトーク」になったのでしょうか。

 

 

 

今、私は、いぎなり東北産のトークや番組が、一番オモシロイです。


例えば、2/16の「いぎなり“やるっちゃ”東北産!マシマシ!!」の放送で、

「東北産のファンになって、東北産なしにやっていけなくなった」、

というリスナーからのハガキが読まれました。


それに対して、伊達花彩が、間髪入れずに、

「ウソつけーぃ! 母さん大事にしろよ!」

と、叫びぎみに言いました。

 

これ、とってもオモシロイ。

 

普通なら、「ずっとファンでいてください」と言うか、

「私たちカワイイから」、とボケるところです。

 

ところが、このハガキはボケていないのに、

ガキンチョの花彩が、ファンに対して上から目線の、説教ツッコミです。

 

それも、「ウソつけぃー!」は、ハガキに書いてきたことを、信じていないのが前提、

一方、「母さん大事にしろよ!」は、過剰に信じてる前提。

 

花彩は、同時に正反対の見方からツッコんで、

ボケがないのに、2重、3重の笑いを生み出しました。

 

これ、すごく高スキルな、ツッコミの究極の形じゃないでしょうか。

 

 

他の誰が、こんなこと、できるでしょう?

 

 

花彩に対抗できるとしたら、正反対の笑いを持ってる、

東北産のコジカ(藤谷美海)くらいかもしれません。

 

2/23の放送の最後の締めのトークで、

「最近あった感謝のエピソード」というお題が、コジカに振られました。

 

「この間のテストの時に、消しゴムを忘れて、友だちに貸してもらった。

テストをやって、やっぱり消しゴムがないとダメだと思って、

消しゴムに感謝しました。」

 

花彩は、MCより先に、「友だちじゃないの!」と、ツッコミ。

 

コジカの見事なボケのトークです。

でも、意識的にボケたとしたら、上手すぎます。

 

この回にやったクイズでも、

コジカは一人ボケてましたが、

大人的には全然オモシロくなくて、スベり続けてました。

 

コジカは、度を越した文房具好きです。

だから、「消しゴムに感謝」は、意識的にボケたとすると、

この彼女のキャラをからめた、見事なボケです。

 

でも、「消しゴムに感謝」は、彼女にとっては、自然なことなので、

単に、天然のトークだったのかもしれません。

 

 

コジカは、しょっちゅう意識的にボケますが、

でも、それが天然みたいなボケだったりするので、

天然かボケか分からないこともあります。

 

「大人のボケ」は、常識の検閲を意識して破り、

ウケそうにボケるという、お笑いのルールの検閲に従うものですが、

多分、コジカには、どちらの検閲もしっかり働いていません。

 

他のメンバーも、いつものことなので、どっちだとか考えない。

ツッコまなかったりもする。

 

こういう決定不可能な宙ぶらりんな状態が、

コジカと回りの日常ではないか、と思います。

 

コジカの笑いは、「子供の笑い」の究極の形のように感じます。

 

東北産には、究極の「子供のボケ」と、「大人のツッコミ」がいて、

常識を持った大人なお姉さんたちと、まだまだ天然な妹たちもいます。

 

なので、東北産にはいろんな種類の「笑い」が交錯するオモシロさがあります。

 

「大人の笑い」と「子供の笑い」が交錯していた時期の、ももクロに近いのかな。