“デコまゆ” と ”ひなりな” と 取り戻すべきもの | ももクロ→エビ中→東北産の魅力

ももクロ→エビ中→東北産の魅力

ネバーランドの住人、
永遠のトキを生きる
自然体の魅力。
ももいろクローバーZ論
→私立恵比寿中学論
→いぎなり東北産論

NHKドラマでの遊女役、初舞台で主演など、最近、早見さんの勢いが止まりません。

ももクロって、やっぱり、「デコまゆ」だったんじゃないか、と思っています。

「太陽」と「クールビューティー・ブルー」の同学年コンビ。

完璧な対照性があって、タレントとしての存在感のある二人。



エビ中で、この二人に対応するのって、一応、「ひなりな」ですね。



太陽な人。



ビューティー・ブルーな人。




で、2組のコンビを見比べてみました…





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*左右反転しました

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なんか、違いますね。

まず、莉奈は、クールじゃないですから。


そして、「デコまゆ」は、恋愛関係だけど…



「ひなりな」は、絶対少女であって…



絶対老女のような、友達関係。




もう少し、もも・エビ論的に考えてみます。

早見さんは、「ももクロ」における「男性性」、「大人性」、「社会性」を担っていたと思います。
ももクロは、早見さんの脱退と共に、“それ”を失うことで「Z」になりました。
紅白での再会という、極めて困難な「無限遠点」で“それ”を取り戻す、というのが「Z」という存在だったのでしょう。

夏菜子は、そんな「ザ・ももクロZ」であり続ける存在です。

でも、「紅白卒業」で、「無限遠点」は到達しないものになりました。
逆説的だけど、そういう形で、常に早見さんは「ももクロZ」に存在しています。

だから、ももクロは、カウントダウンライブの中で、早見さんが象徴する“それ”を取り戻す仕組みを、作るべきなんじゃないでしょうか。


一方、エビ中は、転校した3人が「男性性」、「大人性」、「社会性」をある程度、担っていたと思います。
エビ中は、「明日のこと忘れて取りあえず踊りましょ」と、“それ”を手放すことを歌って、「X」へと進化すると同時に、彼女達が離脱したのは、とても象徴的です。

その後、「大人の答えはもう聞かないよ」と、“それ”を拒否することを歌って、「ゴールデンエイト」へと、さらなる進化をしました。

松野さんも柏木さんも、そういう「ザ・エビ中」であり続ける2人です。

絶対少女、絶対老女に扮する2人の写真を見ると、そんな「エビ中」の「永遠に中学生」な本質を見るかのようです。

でも、エビ中も、“それ”を別の形で取り戻さないといけないと思います。

松野さんの場合は、憧れとしての「早見あかり」ではなくて、「マイペース」な自分を受け入れた、自分なりの目標の姿を見つけて。

柏木さんも、憧れの、強い女性「米倉涼子」ではなくて、自分なりの目標の姿を見つけて。
ひょっとしたら、彼女は、今回の件で、自分の弱さと対面したのかもしれません。
そうだとしたら、それをしっかりと受け入れながら。