「GOUNN」歌詞解釈 本当の意味 | ももクロ→エビ中→東北産の魅力

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ネバーランドの住人、
永遠のトキを生きる
自然体の魅力。
ももいろクローバーZ論
→私立恵比寿中学論
→いぎなり東北産論

紅白も決まってうれしいので、改めて「GOUNN」の歌詞のテーマを解き明かします。


「GOUNN」ははっきりと仏教の世界観をもとにした曲です。
タイトルの「五蘊」も仏教用語ですが、歌詞のテーマとの関連性が薄いので解釈しません。(*1)


冒頭の「あなたに会いたい」の「あなた」とは誰でしょうか?


それは、「永遠の彼方」の「旅路」で会える人だと言います。


つまり、輪廻転生を繰りかえして到達するところにいる人です。
それは、仏教的には「仏」以外にはありえません。


それは、自分自身の目標像でもあります。


つまり、「あなた」は現実の男性ではなく、最終的な目標となる自分の理想像としての「仏」です。


ですから、この歌は、自分の目標像としての仏への愛の歌であり、現在はその愛が欲望であるという逆説があるけれど、それを浄化することで、目標に到達する、というテーマなのです。(*2)


神仏を対象とした恋愛感情を昇華するテーマは、珍しいものではありません。
インド(ヒンドゥー教)では「バクティ」と呼ばれます。
キリスト教やイスラム教でも「愛の神秘主義」などを呼ばれたりします。
異性の神格を対象にしつつも、最終的には性別を越えていきます。


その旅路を導くのは、「自分の中からみちびく未知の力」であり、「魂の奥 つながる」ものだと言います。


つまり、それは心の奥底にある本来の純粋な心としての「仏性」です。
ですから、「前世も一緒にいた」のであり、自分と「よく似てるひと」なのです。


理想像に対する恋愛的感情は、欲望なので否定すべきものなのでしょうか?


「恋とか友情とか全部を越えてる」、「心のあばれるアマノジャクを浄化してみせる」、「渦巻く感情清めてゆきたい」と歌います。

つまり、否定するのではなく、浄化して変容させるものです。


では、誰が浄化するのでしょうか?
自分でしょうか?


「ひとりでできるって」、「(あなたを)遠ざけた」というように、自力を試してみました。

しかし、「こんなにも呼ばれてる 惹かれてる」のです。
奥底の仏=「あなた」は、いつも私を助けようとしているし、私も「あなた」に引き付けられているのです。


つまり、「あなた」への愛、「あなた」からの愛は否定できない、純粋な自力は選択できないのです。


だから、「私は私の化身になりたい」と歌います。
「化身」は仏が他者を救うために現わす仮の姿です。


ですから、「私の化身」の「私」は「仏」、つまり目標として、魂の奥にいる自分でなければなりません。
一方、「私は」の「私」は、現在の自分であり、救われる側にいます。


つまり、自分自身を浄化するのは、自分自身でしかありませんが、それは、魂の奥にいる仏(=あなた)の化身としての自分なのです。


仏教では、化身は神であったり、菩薩であったり、グルであったり、様々です。
いずれにせよ、化身になりたいというのは、心の奥底の力によって自分自身を浄化していく存在になりたい、という意味なのです。


こうして、私は「あなた」の化身になり、浄化の道を歩み、歌詞にはありませんが、最終的には、「あなた」に会い、「あなた」になることで、フィナーレを迎えます。


(追記)

本ブログでは、ももクロのメンバーは純粋で自然体で、ネバーランドの住人だ、神の子だと書いてきました。
これは、仏教的に表現すれば、心の中の「仏性」、「如来蔵」、「自性清浄心」が現れている状態なので、実は、ももクロのメンバーはもう半分くらい「仏」なんだと思っています。



(*1)

タイトルの「GOUNN」は「五蘊」ですが、歌詞の中には直接に五蘊にかかわる内容は出て来ませんし、このタイトルは後からつけられたものです。
ですから、「五蘊」の解釈にこだわることには意味はないでしょう。
ホームページでメンバーが五蘊と結び付けられていますが、これも後付です。
PVとも関係がありません。


(*2)
同じ作詞者による前作、「灰とダイヤモンド」と歌詞とのつながりを考えることもできます。
「過去よりも高く翔ぶために…何度もうまれかわってる、ヒカリ 夜明け輪廻」というように、輪廻しながら成長するテーマには共通性があります。
しかし「灰ダイ」は一緒に仲間と生きていくことがテーマになっていましたので、本作とは異なります