2023年のグラミー賞で主要2部門でノミネートされているKendrick Lamar「The Heart Part 5」

 

 

The Heartはケンドリックが定期的に発表しているシリーズだ。しかし、今回のThe Heartは特別に注目されている。それはおそらくPVのせいだろう。

 

 

 

シンプルな構成のPVだが、ケンドリックの顔がディープフェイク技術で次々と変わっていき、しかも変わっていく顔がいわゆるキャンセル・カルチャーの餌食にあった人々や近年亡くなった故人なのでかなり話題になったのだ。

歌詞としては「カルチャー」について…なんだけど、一般的な使用法とは違っていて、ネガティブな意味としてカルチャーという言葉を使用している。

例えば日本ではむしろ共感の声が多かったWill Smithの顔に変化してラップしているのは「傷ついた人々が更に人々を傷つける状況を『カルチャー』と呼ぶな」というライン。ケンドリックもアメリカでのChris Rock擁護には懐疑的だったのかな。

 

 

これは後出しジャンケンだからこそ言える事だが、つまりカルチャーとは「Mr.Morale & The Big Steppers」でも語られている集団的エゴの機能不全の事で、Eckhart Tolleの考えにこの曲も則っているというわけだ。

 

 

 

だからこの曲とアルバムは同じコンセプトに沿っているんだけど、以前紹介した批判記事の中でアルバムは批判しつつこの曲は称賛しているのが個人的にはどうも引っかかる。以前書いた通りだが「Mirror」のフック「I choose me I’m sorry」をそのまま表面的な意味だけで読むのは絶対間違ってると思うなぁ。

 

 

それはさておき。

 

歌詞は全体的に特にNipsey Hussleの死からインスピレーションを受けたものが多い。特にラストヴァースはニプシーが憑依してラップしてる感じだ。顔もニプシーになっているし。

 

個人的になかなかビックリするラインが、そんなニプシー=ケンドリックが自分を射殺した犯人を許すとラップしている事だ。まずLauren Londonはどう思ってるんだろ?と気になったけど、ポジティブな反応をしていたので安心。

 

 

なかなか普通の人には理解できない感情かもしれない。パッと思い浮かんだのは同じく自分を銃撃した(一命は取り留めたが)犯人を許したローマ教皇のヨハネパウロ2世。悟りの境地に達した人にしかわからない感情、という事なんだろうか。

 

PVの最初には「I am all of us(俺は俺たち全て)」という言葉が書かれているけど、それこそKanye Westとかアルバム中でも言及していたR.Kellyなど世間的には一切の共感を許さないような風潮があるような人にも共感できるケンドリックは、どれだけ「センシティブ」なんだろうか…。

 

 

ちなみにカニエの「ヒトラーが好き」発言はかなり曲解して伝わっていると思う。もちろんダメな発言ではあるものの「ヒトラーやナチは高速道路やマイクを発明した(=現代文明への貢献がある)。でも、それに触れてすらいけないのはおかしい」という趣旨の発言である。決して「ナチス賛美」「ユダヤ人差別」の発言ではない。繰り返すが、それでも「I like Nazi」はアカン。

 

 

話を戻して、そんなケンドリックのセンシティブさが日本人的に伝わりやすいのが、ケンドリックの日本盤対訳でおなじみの塚田桂子さんが10年以上前にケンドリックにしたインタビュー。

東日本大震災直後なので、西海岸の当時新世代ラッパー(ニプシーからも)から日本への応援メッセージをもらったようで、文面からしかくみ取れないものの、ケンドリックは本当に思慮深く、相手の立場に寄り添って考える人なんだなぁ、というのが伝わってくる。これは「Section 80」が出た頃で、まだメジャーデビュー前、「good kid mAAd City」が出る前だ。

 

 

塚田さんは上の記事でも、当時のインタビューを回想しながらケンドリックの「俺は誰にでも共感する事ができる」という発言に頷いている。これも「To Pimp A Butterfly」の頃の発言だ。

 

 

こう見ると、本当にケンドリックってずーっと変わっていないんだなぁ、というのが改めて感じられるのがこの曲じゃなかろうか。この曲で語っているテーマは、決して今に始まった話じゃない。しかし、それを理解していない人も多いのが、やっぱり悲しい。

 

 

 

先述の通りアルバム発売前に発表されたこの曲だが、どうやら配信版のアルバムでは最後にこの曲が追加されているらしい。あくまでボーナストラック的な意味なのか、それとも「俺は俺を選ぶ」と宣言した「Mirror」の後に「フッドよ、俺を求めてくれ」と歌うこの曲がある事に意味があるのか…。

 

もしそうだとしたら、ケンドリックが「俺は俺を選ぶ」と言った事は、やっぱりもっと真摯に考えなきゃいけないと思うのです。

 

 

最後に。グラミー主要部門ではこの曲は受賞しないでしょう。グラミーは黒人に厳しいから。