かっこよすぎでしょ。 | 振付師 三森渚の『ミモリー’s memory!』

振付師 三森渚の『ミモリー’s memory!』

三森 渚(ミモリナギサ)



振付家・MC・ダンサー・子どもミュージカル指導etc…

大義の本が出ました。


大義とは、私の教え子。

私は大学を卒業してからずっと、
市立船橋高校吹奏楽部の振付を
させていただいています。
サッカー部や野球部で有名な市船ですが、
吹奏楽部もかなり熱くて、
私含めたくさんの人たちに
愛されています。

毎年、
3年生最後の舞台である定期演奏会では、
演奏だけではなく
合唱やダンスまで披露します。
あっという間の約3時間。
私はこの素晴らしい演奏会の
メインと言っても過言ではない
「吹劇」の振付をさせていただいています。

大義は、この市船吹奏楽部の卒業生です。


大義の代では、
定期演奏会だけではなく、
6月のYOSAKOIでも振付をしていたので、
より長く同じ時間を過ごした代と言えます。

100人を超える大所帯の部活なので、
正直、関わる時間が少ない子もいます。
それでも、大義のことはよく覚えてる。
穏やかで、表情が優しくて、
いつもさわやかな挨拶をしてくれて、
カッコつけで。
私の高校の同級生が、
大義の中学校の先生だったってこともあり、
なんだか親近感を感じてもいました。


大義が亡くなったときいたのは、
2017年1月13日。
顧問の高橋先生からLINEが届きました。

私はその時、三重県のスペイン村で
振付アシスタントの仕事をしていました。
リハーサルの休憩中に
高橋先生のLINEを読みました。
ピンとこなさすぎて、
現実味がなさすぎて、
ただ心臓がバクバクして。
すぐに返信できませんでした。

大義は元気になる、と
なぜか自信があった。
きっと、私だけじゃなくて皆。


スペイン村での仕事は、
まるまる1ヶ月泊まりこみです。
リハーサルのオフ日も少なく、
大義のお通夜と告別式には行けないと
高橋先生に連絡しました。
帰ったら大義のお家に伺おうと思いました。

大義の告別式は一週間後。
ずっとひっかかっていました。
大義に会える最後のチャンスなのに、
私は行かなくていいのか。
「今しかない」って高橋先生が
いつも生徒たちに伝えています。

私の「今」、自分で選びたい、と
思い直しました。

演出家の先生、振付の先生、
スタッフの皆さんに無理を言って
リハーサルを抜けさせていただき、
大義の告別式に行きました。


この本には大義の告別式のことが
書かれています。
大義の告別式には、
たくさんの卒業生たちが
楽器を持って集まりました。
会場ぎゅうぎゅうでした。
大義たった1人の為の演奏。
あたたかい音色、今でも思い出せます。

あの時、皆で悲しめてよかった。
皆と一緒に大義を想えてよかった。
あの時間がなかったら、
私は今でも大義の死を
受け入れられなかったかもしれません。
あの日からずっとしているように、
大義に話しかけられなかったかもしれません。


大義が亡くなる前、
「大義に届けます」って、
保護者の方が私の動画を撮ってくれました。
卒業生が大義にメッセージや歌を
動画で送っていて、
そこに混ぜてくれるとのこと。
大義の作った曲で振付させてね!って
言ったと思います。
この時大義がどんな状態なのか、
私は知りませんでした。 
ただ、撮影してくださった保護者さんが
泣いていました。
私も一緒に泣きました。

それでも、その時感じた不安を
私は信じていませんでした。


大義が亡くなる4日前でした。


こうして本になるなんて、すごいね。
舞台にもなるし、新聞にもTVにも。

誰にももらったことのない気持ちを
今こうして大義はたくさん届けてくれる。

多くの人にこの本が、
届きますように。

とても丁寧に、
大事に書いてくださったんだなと
感じられる本です。

大義を感じられて嬉しかった。




私も大義も若い!笑



























会いたいなぁ。